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官渡の戦いの真相![許褚と賈詡がいなければ曹操は敗北?]

2024年9月18日


 

曹操(そうそう)曹丕(そうひ)の時代に活躍しとある人物からは、「張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)に匹敵する」と評価された賈詡(かく)

 

蜀馬に乗って戦場を駆け抜ける馬超

 

 

また剛力で馬超(ばちょう)とも互角の一騎打ちを行い、曹操の親衛隊を見事に勤め、常に曹操の側にぴたりと寄り添い、何人たりとも近づけさせなかった許褚(きょちょ)。ベクトルも活躍していた場面も全然違う賈詡と許褚の二人ですが、この二人がいなければ袁紹(えんしょう)との一大決戦・官渡の戦いには、勝利できなかったかもしれません。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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賈詡の行動が官渡の戦いを決めた!?理由その1:袁紹の誘いを蹴っ飛ばしたから

 

賈詡は張繍(ちょうしゅく)の謀臣として活躍。賈詡の智謀は曹操を討ち取る手前まで追い詰めることができるほどでした。袁紹はそんな賈詡と張繍に目をつけ、曹操と敵対関係になると二人を味方にしようと使者を派遣。張繍は袁紹の使者を迎えて「袁紹様の味方についてくれませんか」と説得されます。

 

張繍(張繡)

 

張繍は袁紹の方が曹操よりも強く、曹操軍よりも領土・兵力が上な為、味方に付く決心をします。この時張繍の謀臣・賈詡は袁紹の使者へ「袁紹に伝えておけ。俺らは貴様のような名門貴族の仲間になるつもりはない。とっとと帰れや!!」と伝えます。

 

袁紹の使者は賈詡の言葉を聞いて激怒し帰ってしまいました。張繍は賈詡へ「なんてことを言うんだ。」と激怒。しかし賈詡は冷静に「曹操に味方するべきです。」と冷静に進言します。なぜ賈詡は曹操へ味方するべきと進言したのでしょうか。

 

 

賈詡の行動が官渡の戦いを決めた!?その理由2:二つの理由から曹操へ味方するべし!!

 

張繍は賈詡へ「どうして曹操の方に味方するべきなんだ」と当然の疑問を口にします。当時の群雄や武将達は大きな勢力を持っている方へ味方すれば、自分達が安泰な地位を手に入れ生き残ることができるため、強い方へ味方するのが普通です。

 

しかし賈詡は違いました。賈詡は張繍へ「その理由は二つあります。」と述べます。賈詡曰く「袁紹は、勢力が強大ですから私達が味方しても、大切に扱わないでしょう。しかし曹操は、袁紹よりも弱いため私達が味方すれば、大切に扱ってくれるでしょう。」と理由を説明します。

 

張繍は「ふむふむ。では二つ目の理由は」と質問します。賈詡は「二つ目の理由は曹操が天子を握っているため、戦いに大義名分がある事が二つ目の理由です」と説明。張繍は賈詡の説得を受けて曹操の陣営に味方する事を決意します。張繍は賈詡の説得によって曹操へ味方したことで、曹操軍の陣営で重く扱われることになります。もしこの時、賈詡が袁紹の味方についていたらどうなっていたのでしょうか。

 

曹操と張繍(張繡)

 

張繍の勢力は曹操の勢力の後方に有り、袁紹と官渡で決戦している間に後方から攻撃することができます。張繍軍が曹操の勢力に侵攻してくれば曹操軍は張繍軍を止めることができず、壊滅的なダメージを負っていたかもしれません。上記のように考えれば官渡の戦いは袁紹軍の大勝利となっていたでしょう。このように考えれば賈詡の決断は、官渡の戦いに大きく影響を及ぼしたと、言えませんか。

 

 

許褚の行動が官渡の戦いに大きな影響を与えた!?理由:曹操の命を間一髪で救った

 

曹操は大軍をひきいて袁紹と官渡で対峙。両者の戦いは容易に決着しませんでした。官渡の戦いで攻防戦が繰り広げられている最中、曹操軍のある兵士が登場します。

 

その兵士の名前は徐他(じょた)といいます。徐他は曹操を暗殺しようと画策しますが、曹操の側には親衛隊の許褚が常にいるため、曹操暗殺を実行に移すことができませんでした。しかし徐他は許褚の非番の日を見つけて、その日に曹操暗殺を実行する決意を仲間達へ話します。

 

三国志の武器 巣車 許チョ(許褚)

 

許褚は非番の日を迎えるとなんだか胸騒ぎがして、曹操へ「休みの日を別の日に変えてください」と懇願。曹操は許褚の懇願を入れて休みを別の日にずらすことにします。徐他達は許褚が曹操の本営に居ないと思い込んでいるため、懐に刀を隠して曹操のいる本営へ乗り込みます。だが徐他達が目にしたのは親衛隊の許褚でした。許褚は徐他へ「キサマら何の用だ!!」と大声を上げて威嚇し、無断で曹操の本営に入ってきた徐他達を殺害。こうして徐他達が企てた曹操暗殺計画は失敗に終わることになります。

 

史実では許褚(許チョ)に敗れる張衛

 

曹操は許褚のおかげで暗殺されることなく、官渡の戦いに勝利することができました。もし曹操が許褚をシフト通りに休みを取らせていたら、間違えなく暗殺されていたでしょう。許褚が曹操の親衛隊だったからこそ官渡の戦いに勝つことができたと考えるのは行き過ぎでしょうか。

 

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

官渡の戦いは袁紹軍の圧倒的な兵力を支えていた鳥巣を曹操軍が襲撃した事が、きっかけとなり勝つことができました。しかし賈詡と許褚のふたりがいなければ、官渡の戦いで曹操軍が大敗北して、袁紹の天下となっていたと言えるのではないのでしょうか。上記のように考えれば、賈詡と許褚の活躍は歴史を変えたと言っても、言い過ぎじゃないように思えますが、皆様はどのように考えますか。

 

参考 ちくま文芸文庫 正史三国志 魏書 今鷹真・井波律子訳など

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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