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秦の始皇帝が造り出した伝国の玉璽

2015年1月21日


 

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始皇帝 はじめての三国志

玉璽(ぎょくじ)というのは平たく言うと、皇帝の印鑑です。全ての公文書は、この玉璽を押して効力を発揮するので、古くから、権力の象徴として神聖視されてきました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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玉璽は何でつくられているの?

玉璽

 

材料は、金、銀、銅、玉、と主に貴金属を用いて造られます。ランクも存在し、一番上が「璽」次は「章」最後は「印」です。日本の奴国の王に後漢の光武帝から送られた金印は、「印」で、ランクとしては一番下である事がここから分かります。その玉璽でも、最も権威が高いのが伝国の玉璽という印鑑です。これは、今から、2200年前に中国を初めて統一した。始皇帝が、霊鳥の巣から発見した玉から造り出した印鑑でした。

 

政権の正統性を保障する象徴のアイテム

かなえ

 

この伝国の玉璽は、秦が滅んだ後、漢にも伝わり、政権の正統性を保障する象徴する至高のアイテムになりました。前漢が王莽の計略で滅亡する時に王莽の使者は、王政君という皇太后から、取り上げようとしました。

 

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王政君ブチ切れ

王政君お怒り!玉磁なげる

 

王政君は、自分が取り立てた王莽が、漢を滅ぼすのを恨み、「この恩知らずの悪党!!」と罵った上で、伝国の玉璽を床に叩きつけたと伝承されます。

 

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本物と偽物の玉璽違い

玉璽 三国志

その時に、玉璽は装飾の龍の角が欠け、それが本物と偽物を見分ける方法と言われています。しかし、今、偽物と書いたように、何度も戦乱と破懐が繰り返された中国では、伝国の玉璽といえど、その保管は容易ではありません。

 

歴代皇帝の墓を暴こうとする韓遂の兵士

 

中国では、漢の後に、晋を経て、五胡十六国時代を経過して、南北朝期、隋、唐の時代までは何とか、存在できたそうですが、玉という宝石で造られている玉璽は美術品の価値もあり、略奪の対象になりやすく、唐の後の戦乱、五代十国時代に、行方知れずになっています。そこで、歴代の王朝は、漢の時代の伝国玉璽をモデルにして、幾つものレプリカを作成して、これを本物として主張しました。その為に現在の中国には、伝国玉璽と伝えられるものが、十数個も存在していると言われています。

 

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春秋戦国時代

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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