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再婚なんか当たり前?驚きの三国志の再婚事情とは?

2016年10月21日


 

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劉備

 

バツイチとは、現在では離婚歴1回を差す言葉です。

なんでも戸籍に×が1つ付くのでバツイチと言うのだそうですが、

はじめての三国志は、三国志サイトなので戸籍の事は各人で調べて下さい。(丸投げ)

儒教の影響が強い三国志の時代、バツイチなんて、さぞかし肩身が狭かったのでは・・

と思いきや、実は三国志の時代、再婚は普通でタブーではなかったのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備の皇后だった呉氏はバツイチ!

劉備と4人の妻

 

三国志の英雄の一人である劉備(りゅうび)は益州に入り呉氏を皇后にしています。

彼女は穆(ぼく)皇后と諡号を与えられますが呉氏はバツイチでした。

最初の夫は、劉焉(りゅうえん)の三男で劉瑁(りゅうぼう)という人物でしたが

早くに亡くなり呉氏は未亡人になります。

 

西暦214年、劉備が益州に入ると周辺が呉氏を妻とするように勧めます。

前の支配者と血縁を結んで、民心の安定を図ったのでしょう。

しかし、劉備は同じ劉氏に嫁いだ女性だから礼教の「同姓娶らず」に反すると

言って乗り気ではありませんでした。

 

そこを重臣の法正(ほうせい)

「呉氏は実家に帰って旧姓に復しているので劉氏ではありません・・」

とか何とか言い説得し劉備も承諾しています。

 

ここで注目すべきは、劉備は呉氏が再婚だから嫌と言っているのではなく、

以前、劉氏に嫁いで同族婚になるから気乗りがしないと言っている点です。

再婚者に対する偏見はなく、全然オープンだったのです。

 

光武帝の姉、湖陽公主もバツイチだった

陰麗華

 

後漢の建国者でリアルチートとして

有名な光武帝の姉は湖陽(こよう)公主と言いました。

しかし、彼女も前夫と死別してしまいます。

姉思いの光武帝は、なんとか姉の後添えを探してやろうと姉を呼んで、

話をし、再婚の意志と気になる相手はいないか?を聞いています。

すると湖陽公主は、

「宋弘(そうこう)殿は立派なお姿と器の大きさでは、誰も敵いません」と言ったので

光武帝は既婚者の宋弘を呼び出して、姉を屏風の裏に隠し、、

 

「女房と畳は新しいものが良いなんて言うけど、お前はどうだ?

その気があるなら、新しい奥さんを世話してやるぞ?ウヒョ!」

 

と最低な事を言いだし、宋弘に拒否られています。

 

孫権の娘の孫魯班もバツイチだった

そんろは 孫魯班

 

ドロドロの孫家の後継者争いに積極的に加担した、悪名高い大虎、

孫魯班(そんろはん)も、最初は周瑜(しゅうゆ)の息子の周偱(しゅうしゅん)に嫁ぎ、

周偱が早死にすると今度は全琮(ぜんそう)と再婚していますし、

妹の孫魯育(そんろいく)は、最初は朱拠(しゅきょ)に嫁いで、

次には劉纂(りゅうさん)と再婚しています。

 

孫魯班は悪名高さから、どこか、魔性の女のイメージを持ちますが、

漢の時代は、再婚程度は普通の事だったのです。

 

晋の重耳の五人の妻にもバツイチがいた

重耳

 

19年の放浪生活の末に、晋に戻って覇者になった晋の文公、重耳(ちょうじ)

放浪中に秦に向かい、秦伯の娘5人を妻にしていますが、この中には、

懐公(かいこう)に嫁いでから、出戻ってきた娘も含まれていました。

 

このように、春秋時代でもバツイチは決して経歴として、

マイナスでは無かったのです。

 

関連記事:介子推(かいしすい)とはどんな人?晋の重耳に自らの身を犠牲にして忠誠を尽くす

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漢の武帝の祖母、藏児と娘はバツイチ同士・・

 

前漢の武帝の母、王大后の母は藏児(ぞうじ)と言いましたが、

彼女は最初に、王仲(おうちゅう)に嫁ぎ、一男二女を産み、

王仲の死後、さらに長陵の田子に嫁いで田蚡(でんふん)と

田勝(でんしょう)を産んでいます。

 

藏児の長女であり、武帝の生母である王大后も、最初は、

金王孫(きんおうそん)に嫁いで一女を産み、その後景帝の後宮に入り、

そこで劉徹(りゅうてつ)、すなわち武帝を産んでいます。

 

後宮女性と言えば、皆、皇帝以外には男性経験のない女ばかりだと

思い込んでいますが、まったくそんな事はなく、

容姿さえ整っていれば、離婚歴など問題では無かったのです。

 

武帝は、生母が初婚の時に産んだ娘を宮廷に呼んで姉とし

母の兄弟である田蚡を丞相にしています。

これは、武帝ばかりでなく、当時の一般の風潮であり、

異姓の兄弟姉妹を差別せずに対等に扱っている事を示しています。

 

再婚した前妻夫婦と食事をする関係

 

また、漢の朱買臣(しゅばいしん)は、ある時に再婚していた前妻に逢い、

その夫を紹介され、意気投合して食事を恵まれた事があります。

これは現在でも、まず無理で、お互いに気を使って避けるようにする筈ですが、

漢の時代の感覚では、何のタブーもなく、同席して食事さえしたというのですから、

時代が違えば全て違うものです。

 

もちろん、全ての女性がよろこんで再婚したのではなく、

相手を気に入らなかったり、先立った夫を深く愛していた場合には、

再婚を拒否して、生涯、一人を通すケースもあります。

 

どうしてバツイチはマイナスとされなかったのか?1

孫姫

 

三国志の時代において、バツイチがマイナスにならない理由には、

死別以外にも、離婚がとても多いという事由があります。

当時の男は、実に些細な理由で妻と離婚する事が認められていて、

裁判にさえならず、ただ妻の実家に結納金と花嫁道具を返せば、

それで離婚は成立していました。

 

妻の実家は、例え非が夫にあっても我慢し

「不調法な娘で、家の務めも果たせず、あいすみません」

と頭を下げる決まりでした。

 

当時は、「結婚したからとて安心するな、離婚は突然来る、

ちゃんとへそくりをして、それに備えるんだぞ」

と新婦の父が娘に言い含めた格言もあったそうです。

 

いきおい、妻の側は最良の夫を見つけるまで、何度か再婚するのが、

当たり前という風潮になり、それが再婚をマイナスにしないという

社会通念を作り上げました。

 

どうしてバツイチはマイナスとされなかったのか?2

重耳 文公

 

バツイチがマイナスにならなかった、もう一つの理由は、

社会福祉の観点からでした。

当時の貧弱な社会福祉制度では、男女が独身で老後を迎えれば、

面倒を見る人間もなくなり悲惨な事が起きます。

 

そこで、バツイチを問題にしない事で再婚のハードルを下げ

早く結婚してもらい、子供をもうけて老後の面倒を見てもらえるようにと

当時の人々が考えて、バツイチを問題にしなかったのです。

こうして考えると、よく出来た制度であるとも言えます。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

現在の日本の少子化にも、結婚に失敗したらどうしよう、、

というものがあり、なかなか結婚に踏み切れず気がつくと

婚期を逃すというような事もあるようです。

 

逆に、一度バツイチになると開き直り、

開き直りすぎて、相手が嫌になるとすぐに離婚してバツ2、

バツ3になるケースもあります。

 

実際、結婚してみるまで相手の事は分りませんし、

漢の時代のように、バツイチなどなんでもないという社会になれば

「試しに結婚して、ダメなら別を探そう」と男女ともに

結婚に前向きになれたりするかもしれませんね。

 

ただ中国では、このようなバツイチをタブーにしないという風潮は

明の時代の初期頃までで、その後はバツイチを卑しむようになります。

 

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