所変われば品変わるといいますが、地域でさえそうなんですから、時代を1800年も遡れば何を食べていても不思議じゃないでしょう。それが、中華料理を生み出した中国と言えば尚更です。
今回は、なんと○○を食べていた三国志の驚異の食生活に迫ります。
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この記事の目次
羊の生血に豉(し)を効かせた強烈酔い覚まし
三国志の時代にも、飲み過ぎの二日酔いはあったようで、宴会では前もって酔い覚ましの飲料が造られていました。それは、羊の生血に豉という発酵大豆に塩を加えて混ぜ合わせた酸っぱい飲料で血カン(月+臽)と呼ばれていました。
羊を殺してから逆さに竿に吊り下げて流れる血を器に溜め、それに豉を混ぜて造ったようですが、逆に生臭そうで「ヴェッ」とならなかったのか心配です。
恐らく、今でいうと、ムカデやマムシのエキス入りの滋養強壮ドリンクを頂く感覚なのでしょうね。
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目があったら食欲が落ちそう・・牛の頭
三国志の時代には、もちろん牛も食べていましたが、当時の壁画には、切断した牛の頭をそのまま厨房の上にぶら下げているものがあります。
牛の頭は周の時代には肉屋の看板代わりに店頭に吊り下げたという記録がありますが、漢の時代の牛頭は、ただのディスプレイではなく保存処理をして食べたようです。
しかし、牛の頭が丸々と食事に出てきたら、さらに目があったりしたら食欲が減退しそうです。
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割合ポピュラーだった犬の肉
犬は古くから中国では身近な生き物でした。周の時代には犬官(けんかん)という専門の役職まで設けられ犬の調教から食肉加工までを引き受けていました。
中国では犬の家畜化が猫よりずっと早く調教をして猟犬として使う以外に鼠まで獲らせたそうです。
漢の時代には、犬を食べる文化は盛んになり、牛豚の屠畜とは別に犬の屠畜専門業者が出現する程に、犬は日常的に食べられていました。しかし、唐代以降は、廃れて都会では食べられなくなったようです。
現代の日本人の感覚では、犬は猫と並んでペットの感覚なので犬食はかなり抵抗があるでしょうね。
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漢の時代でもゲテモノだった○○の肉
色々な肉を食べた三国志の時代の人ですが、特にこれは凄いという食材が猿の肉です。当時の厨房の様子を描いた厨房画というジャンルの壁画にも小型の人間のように吊るされて描かれていてかなりの珍味として扱われていたようです。
ただし、外見が人間に似ている猿を食べるという人は、当時もあまり多くはなく、ただしくゲテモノの類だったようです。一方で猿の脳は、性的な不能を治療する特効薬だとされ、そういう意味で、薬として食べられた部分もあるみたいです。
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淮南子の記録にある猿を食べた人のリアクション
淮南子(えなんじ)の脩務訓(しゅうむくん)には、この猿の肉を食べた人のリアクションが記録されています。
ある楚人が猿を調理して隣人を食事に招待した。隣人は出された羹(あつもの:スープ)を犬を材料にしたものだと思い美味しく頂いた。さて、すっかり食事が済んでから、猿の羹である事を聞かされると、隣人は地に這いついて食べたものをすべて嘔吐してしまった。
「そりゃあ、何も言わないで食わせたらそうなるわ、、」
という記述ですが、楚人は中国の南方の人を意味し、その土地には密林もあり、野生動物も多く、猿を食べるという事に抵抗が無かったのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
いかがだったでしょうか?
三国志の時代の食材は、どちらかと言うと現在の日本の料理に近く、生魚があったり、酢の物があったり、ソーセージがあったり美味しそうなモノも多いのですが、一方では、犬、猿、羊の生血ドリンクと遠慮したい食材も多くあったようです。
しかし、何でも食べるという中国人の食への執着が現在の中華料理を生み出した事を考えると、ゲテモノ食いも、食の洗練には大きく貢献したと言えるのかも知れないですね。
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