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述志の令をもとに曹操の若かりし頃の夢を考察してみる

2017年1月29日


 

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曹操と羊

 

三国志最大の領土を保有して他の二国を圧迫し続けた

この魏を作り上げたのはみんな知っている天才・曹操(そうそう)です。

彼は戦に明け暮れて時に危機的状況に陥りながらも魏の国を作り上げることに成功します。

そんな彼、実は魏を作る事なるとは思っていなかったようだったのです。

では曹操はどの程度を望んでいたのかをご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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銅雀台を気付いた頃

曹操と魏軍と呉軍

 

曹操は赤壁の戦いに敗北した後、鄴(ぎょう)まで退却していきます。

その後彼は「ウチの国力は赤壁で敗北したくらいじゃ全然ダメージないんだかんね」と

言わんばかりに超高層の銅雀台の建造にかかります。

この銅雀台が完成したのは建安15年でした。

曹操はこの銅雀台が完成すると早速登って過去を振り返ることにします。

 

関連記事:銅雀台(どうじゃくだい)ってなに?どんな建物で何をするところだったの?

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自分の夢は

曹操の三顧の礼03 曹操、荀

 

曹操は自らの過去を振り返りながら、「述志の令」というものを書きます。

この内容は自らの過去を振り返る作業を行います。

ここで曹操は二十歳の時に孝廉に推挙された時の自らの志を述べております。

曹操曰く「俺は二十歳の時に孝廉に推挙された。

この時に俺が考えた理想はどこかの太守となってしっかりとした治世を行い、

中華全土に俺の名声を轟かせること」だったそうです。

この理想は済南の長官に任命されることになり、理想のスタートラインに立つことになるのです。

彼は理想通りに住民に対してしっかりとした善政を行い評判は上々でしたが、

中央政府に侍って権力を欲しいままにしていた宦官達が曹操を陥れようとしていることを知って、

彼は官職を捨てて実家に帰ってひきこもりになってしまいます。

 

人生プランの変更

三国志大学 曹操

 

曹操は実家に帰ると毎日部屋にこもって本を読んで、狩りに出かける毎日を過ごします。

そして述志の令によると曹操はここで人生プランの変更を行います。

曹操曰く「俺って今30くらいじゃん。

だけど周りの孝廉の推挙された奴らってもうすぐ50歳か50を超えているおっさんばっかりじゃん。

てことは俺も50までは残り20年あるし、そこまで春・冬は狩りに励んで、

夏・秋は読書に励むことにしよう。

そして50になったら必死こいて仕事に打ち込めば、

それなりの名声を手に入れることができるのだろう。」と人生プランを変更することにします。

実家が超金持ちである曹操ならではなの考え方と言えるのではないのでしょうか。

 

人生プラン変更するも・・・・プラン崩壊。そして新しいプランを建てる

曹操

 

曹操は自分が考えた人生プランに沿って生きていくことに決めますが、

政情が彼を放っておきませんでした。

50歳まで引きこもっていようと考えていた曹操が再び世に出ることになってしまうのです。

曹操はせっかく考えたプランが破綻してしまい残念がりますが、

再び人生プランを考えることにします。

曹操は「こうなったらしょうがない。後漢王朝のために反乱を企てている軍勢を滅ぼして、

征西将軍位の官職を手に入れることを目指そう。

そして自らの墓碑には「漢之征西将軍曹操之墓(かんのせいせいしょうぐんそうそうのはか)と

打ち込んでもらうことを目指そう。」と決めます。

が・・・・。彼の人生プランはまたも崩壊してしまいます。

 

各地の豪族達を討伐し続けている内に・・・・

曹操

 

曹操は再び世の中に出ると群雄の一人として挙兵し、呂布や袁術・袁紹兄弟、劉表などの

群雄を討伐してあっという間に天下のほとんどを握る覇者となってしまいます。

そして彼は「もし俺がこの世界に生まれていなかったとしたら、

どれだけの群雄が王を名乗っていたのであろう。

そのような事態にならなかったのは俺が居たからである。

この考えをおこがましいという奴もいると思うが俺の考えを知らないからそのようなことが言えるのだ。

俺が後漢王朝に取って代わるのではないかと思っている奴もいるだろう。

しかし俺は天下の半分を手中に収めながら現在の地位に甘んじているのは、

滅び行く殷王朝に忠義を尽くした周の文王のように有りたいと考えているからである。」と

述べます。

こうして色々と自分の過去を振り返りながら今の自分の心情を述べたこの文章は、

献帝から爵位をもらうことを辞退するための理由として書いた手紙でありました。

 

三国志ライター黒田レンのひとりごと

黒田廉さん02b 背景あり

 

曹操は天下の半分を手に入れながら後漢王朝から皇帝の位を譲り受けようとしなかったのは、

彼が上記の手紙の中に書いた周の武王に倣ったからだと言えるのではないでしょうか。

それにしても若かりし夢が叶ったほうが曹操としては良かったのか、

それとも何度も自分の人生プランを組み立てるもが崩壊して(曹操的には良くない方向へ?)、

魏の領土を作り上げることに成功したのとどっちが良かったのでしょうか。

彼が生き返ったらぜひ聞いてみたい質問ですね。

 

参考文献 講談社現代新書 三国志と日本人 雑喉潤著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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