蒙毅(もうき)ってどんな人?趙高に恨まれて悲劇の最期を迎える文官

2017年1月29日


 

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河了貂と蒙毅

 

昌平君(しょうへいくん)の軍師学校で、河了貂(かりょうてん)と学んでいた

蒙毅(もうき)は、祖父を蒙驁(もうごう)、父を蒙武(もうぶ)、そして兄を

蒙恬(もうてん)に持つ秦ではエリートに入る名門の出身です。

さらに、兄同様、ゴツイ祖父や父に似ずイケメンの優男で頭もキレます。

これなら、随分モテそうですが、兄と違い、そういう面には関心が薄く

もっぱら軍師として、父蒙武の役に立ちたいと精進しているようです。

しかし、蒙毅の末路は、あの趙高(ちょうこう)に睨まれた事で

悲劇性を帯びていくのでした。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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始皇帝に重用されたのは、かなり後の事・・

キングダム 始皇帝

 

現在の蒙毅は、軍師学校の生徒で同期の河了貂にも、兄の蒙恬にも、

随分と差をつけられている感じですが、史実の蒙毅の出世もかなり遅いです。

というのも、蒙毅は文官であり、戦場で手柄を立てたわけではないからでした。

 

紀元前221年、秦が天下を統一すると始皇帝は、蒙恬を高く評価します。

それにより弟の蒙毅も目をかけられましたが、一度気に入られると出世が早く、

上卿(じょうけい)に任命されて、常に始皇帝と同じ車に乗り、

宮廷でも一番前に侍(はべ)るなど破格の待遇をされました。

 

蒙毅は秦の法律に詳しい人物で、常に始皇帝の諮問を受けています。

キングダム同様に、相当なキレ者だったのです。

 



趙高の罪に対して死罪を適用するが・・

趙高 キングダム

 

ある時の事です、始皇帝の末子・胡亥(こがい)の家庭教師であった

趙高(ちょうこう)が罪を犯します。

蒙毅は法律の通り、趙高を死刑とし官職を剥ぎ取り庶民に落します。

ところが、その時に始皇帝からストップが入りました。

 

趙高は才能があり、また末っ子も懐いているので死刑は勘弁せよと言うのです。

いかに法が厳しくても皇帝が中止しろと言えば、止めざるを得ません。

こうして、趙高はすんでの所で死罪を免れますが、蒙毅を恨みます。

そして、この時、法に忠実であった事が蒙毅に悲劇を呼び込むのです。

 

蒙毅が病気の平癒を祈る間に始皇帝死す

張良と始皇帝

 

蒙毅は、始皇帝の巡幸にも必ず付き従っていました。

紀元前、211年、始皇帝は体調を崩したので蒙毅を遠くに派遣し

山川の神に祈らせました。

 

しかし、祈りの効果はなく、蒙毅が戻ってくる前に始皇帝は死去しました。

始皇帝の死に立ち会えなかった事は、蒙毅に致命的な出遅れをもたらします。

彼が戻る前に、趙高と李斯(りし)は共謀して、始皇帝の遺書を改竄し

長子の扶蘇ではなく、末子の胡亥を二世皇帝に立てていたのです。

 

こうして、権力を握った趙高はかつて、自分を死刑にしようとした

蒙毅を陥れる計略を練っていきます。

 

扶蘇を自殺させた趙高は、胡亥に蒙一族の讒言を繰り返す

李斯 ネズミ

 

趙高と李斯は結託して、始皇帝の長男の扶蘇(ふそ)に自決を促す勅命を出します。

焚書抗儒により儒学者を大勢弾圧し殺害していた李斯と趙高ですが、

扶蘇は逆に儒教を重んじて始皇帝に行き過ぎを諫言していました。

 

その扶蘇が皇帝になれば両者とも、よくて失脚、悪ければ命はありません。

二人が扶蘇を邪魔に思うのは当然の成り行きでした。

 

扶蘇についていた蒙毅の兄の蒙恬は、勅命は偽物ではないか?と疑います。

そして真相が分るまでは、扶蘇に自決しないように説得しますが、

扶蘇はそれを聞かず自害しました。

 

それを知った胡亥は安心し、蒙恬と蒙毅を許すように命令します。

趙高は、これで蒙恬と蒙毅が許されると、宮廷において自分の敵になると恐れ

胡亥に対して、蒙一族の讒言をしまくります。

 

畏れながら申し上げます、蒙毅は先帝(始皇帝)の側に仕えながら、

先帝が陛下に賢臣を付けようとするのをひたすらに妨害しておりました。

蒙毅は二心を持ち、陛下が即位なさるのを快く思っていなかったのです

このような不忠の臣は誅殺すべきと私は思います」

 

それを本気にした胡亥は、蒙毅を代(だい)の土地で牢獄に入れて幽閉します。

 

公子嬰が胡亥を諌めるが胡亥は聞かない

胡亥

 

王族である子嬰(しえい)は、趙高の企みを見抜いて胡亥を諌めます。

 

「かつて趙王は、名将李牧(りぼく)を殺して趙を滅亡に追いやりました。

斉王の建(けん)は、何代も仕えた功臣を殺し、后勝(こうしょう)という

佞臣(ねいしん)を重用して斉を滅ぼしています。

蒙一族は蒙驁以来、先祖代々秦に仕えて忠勤を尽くしております。

彼等を誅殺して、どこの馬の骨とも分らない人間を用いれば、

国からは、まとまりが消え、ついには滅亡してしまいますぞ」

 

これは、暗に趙高を批難した言葉ですが、胡亥は子嬰の諫言を

退けてしまいました。

 

蒙毅は曲宮に死を宣告されるが・・

 

胡亥は曲宮(きょくきゅう)という人物を代まで走らせて蒙毅に死を告げました。

 

「貴様は、先帝が陛下を後継者にしようとしたのを妨害した。

その罪は一族に及ぶが、それでは余りであるから貴様のみに死を与える

有り難いと思って、潔く罪に服すように」

 

しかし、蒙毅は、その命令に従わずに抗弁しました。

 

「私が先帝の意を知らなかったというのは誤りであります。

幸運にも私は先帝の寵愛を受け、絶えず付き添って御意を聞いておりました。

また、私が陛下の才能を知らないと思われているのならそれも誤りです。

何故ならば、先帝は、特に陛下の才能を愛したからこそ、

常に巡幸に陛下を同行させ他の公子は遠ざけられたのです。

私が、そのような先帝の思し召しを知らず、それを妨害する必要が、

どうしてありましょうか?

私は言葉を飾り、陛下を持ちあげて罪を免れようとは思いません。

ただ、先帝の名誉を汚さない為に、あり得ない事はあり得ぬと主張している

それだけに過ぎないのです」

 

真実の罪で処刑して頂きたい、願い虚しく蒙毅死罪に・・

 

曲宮は、たじろきます、粛々と死に赴くか、命乞いをするか、、

どちらかだと思っていた蒙毅が真っすぐの目で抗弁したからです。

さらに蒙毅は、渾身の力を込めて告げます。

「願わくば大夫(曲宮)には、よくお考え頂き、真実の罪での死を賜りたい。

人間として生まれ、位人臣を極め、人生の終わりを全うするのは尊い道です。

刑罰によって、人生を終わるなど、最も忌むべきところなのです。

古来より、罪無くして殺される臣下はいましたが、やがてその冤罪は明らかにされ、

彼等を殺した君主は暗君として後世のもの笑いになりました。

名君は道理を重んじ、非道の殺しはしないものです。

どうか、その事を陛下にお伝え願いたい!!」

「ええい!黙れっ!陛下のご命令である、潔くせい」

 

曲宮は、胡亥が蒙毅を殺したがっている事を知っていたので、

引き下がる事なく、強引に蒙毅を斬殺しました。

それは、紀元前209年であり、すでに中華は陳勝(ちんしょう)

呉広(ごこう)の乱で大混乱に陥っていたのです。

 

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キングダムウォッチャーkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

賢明なキングダム読者であれば、蒙毅の言葉に違和感を持った事でしょう。

蒙毅の言い分が正しいなら、始皇帝は最初から胡亥を後継者と考え、

扶蘇は除外されている事になり、趙高と李斯が遺言を偽造したという事実は

存在しないという事になってしまうのです。

 

蒙毅は保身の為に自分を偽る人ではなく、

従って胡亥に媚びる為に嘘をついたとも思えません。

そうなると、つまり始皇帝は後継者を見誤るくらいに

晩年はポンコッツになっていた事になるのです。

さて、真実は、どこにあるのでしょう

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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