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関銀屏(かんぎんぺい)とはどんな人?まさに三国志界のジェダイの騎士

2017年3月13日


 

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蜀の重臣・関羽は超有名ですが、その子らもやはり人気があります。

 

まずは長子の関平。三国志演義では養子という設定ですが、関羽の最期まで付き従ったことで、関帝に祀られています。そして次子の関興。三国志演義では父親の雪辱を晴らすために大活躍します。

 

関羽の跡を継いだのがこの関興です。さらに三男の関索。このあたりから架空の人物だともいわれています。京劇に登場することで有名です。早世したとも伝わっています。

 

関銀屏

 

また関羽には娘もいました。この娘が関銀屏(かんぎんぺい)です。

今回は関羽の娘について触れていきたいと思います。

 

 

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志に登場する女性たち

 

三国志の時代の記録では女性には基本的に名が残っていません。

 

姓のみで記されています。曹操の最初の夫人は劉氏です(劉夫人)。次に丁氏(丁夫人)。さらに卞氏(武宣皇后)。曹操の息子の曹丕の正妻は甄氏(文昭皇后)となります。

 

皆、姓で呼ばれています。稀に名だけではなく、字も記録されている女性もいます。孫権の娘の孫魯班です。字は大虎。その妹となる孫魯育、字は小虎。

 

このように正史に名前が残っている女性はわずかなのです。だから関羽の娘の名も記録されていません。

 

関羽の娘

 

関羽に娘がいたことは確かなのでしょうか。西暦219年に劉備が漢中王を称しました。このタイミングで孫権は荊州をまとめる関羽と誼を通じようとし、自らの息子と関羽の娘を娶せようと画策します。と、三国志演義にはあります。

 

娘はいたのだと思います。その相手になる孫権の息子が孫登だとされています。庶子です。生母の身分が低いことから、

 

このときは後継者とはされていません。太子に選ばれたのは西暦221年のことです。もしも孫登が関羽の娘と結ばれていたら、孫登が太子になることはなかったのではないでしょうか。他国の臣の娘が皇帝の妻というのはバランスが悪すぎます。

 

太子になることはないだろうということから関羽の娘との縁談話が進んだのでしょう。関羽の娘の名前は明かされていません。

民間伝承ではこの娘を関銀屏と呼んでいます。

 

 

関羽は「犬の子に虎の娘をやれるか」と拒絶したそうです。

それを聞いて孫権は激昂します。

 

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箱入り娘

 

この話にさらに尾びれがついて関羽は「娘をたいへん可愛がっていた」と伝わるようになります。そうなると関羽の義兄弟である張飛も我が娘のように可愛がったとなっていきます。

 

今でいう「親ばか」状態でしょうか。ちなみに関銀屏という名は張飛がつけたそうです。大事にしていた呂布の形見である真珠を関銀屏に与えたとの逸話もあります。

 

とにかく目に入れても痛くないほどの可愛がり方だったようですね。素晴らしい美貌で、縁談話も矢継ぎ早だったとどんどん話が大きくなっていきます。関銀屏は、このときまで可憐な乙女として扱われています。

 

李傕・郭汜祭り

 

関羽の死後、趙雲に弟子入り

 

民間伝承によると、関羽が孫権によって首を討たれた後、関銀屏はそのかたき討ちのために武芸を磨いたとされています。しかも師匠はあの趙雲です。

 

この辺りのシーンはなぜかしら「スターウォーズ」のルークスカイウォーカーとヨーダの関係を連想してしまいます。趙雲に鍛えられた関銀屏はまさにジェダイ並みに強くなったことでしょう。まさかフォースは使えなかったと思いますが……

 

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誰と結婚するのか

 

孫権の息子との結婚は破談になりましたが、それほどの器量の娘が一体誰と結婚するのかは興味があります。民間伝承では蜀の李恢の息子・李遺に嫁いだとされています。

 

誰?って感じですよね。李恢はあの馬超を口説き落として、蜀の陣営に招き入れた人物として有名です。蜀を代表する五虎将軍らの名前がひっきりなしに登場してきます。

 

そんなレジェンドたちと繋がりの強かった女性が、関銀屏なのです。

 

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

かなりフィクションなので、私も悪ノリが過ぎました。

 

関銀屏ファンの皆さまの気分を損ねていたら申し訳ありません。もし関銀屏を主役にしたお話があったら、メチャメチャ面白そうです。

 

みなさんはどうお考えですか。

 

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魏のマイナー武将列伝

 

【動画】曹操が関羽に行った嫌がらせ

 

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ろひもと理穂

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