樊城の戦いで関羽は○○をすれば死なずに勝利できた【if三国志】

2019年4月6日


 

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関羽

 

 

歴史にifはありません。歴史とはすでに起こってしまった過程であり、結果です。

 

 

曹操や許褚、荀彧の悪口を言う禰衡

 

 

それを後からどうこう言うのはナンセンス、そう言われても「もしも」「if」を考えてしまうのが歴史好きという生き物。

 

 

関羽

 

 

そこで今回は樊城の戦い(はんじょうのたたかい)に注目して、「if」を、こうしていたら関羽(かんう)は樊城で負けなかったんじゃないか、を考えて見たいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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簡単に樊城を振り返ってみる

曹仁

 

 

ではまず簡単に、樊城の戦いを振り返ってみましょう。樊城の戦いはまず曹仁(そうじん)が守る樊城を()(しょく)の同盟軍で叩くことにありました。

 

 

呂蒙のお見舞いにかけつける陸遜

 

 

しかし序盤で呉は都督である呂蒙(りょもう)が体調不良により欠席、しかし関羽は勢いに乗って樊城を包囲、援軍に来た李典(りてん)の軍を降伏させ、樊城の北の偃城(えんじょう)も包囲。

 

 

徐晃

 

 

しかしそこから不思議なほど強固に曹仁(そうじん)が粘って、ひと月後に今度は10万という大軍を率いて徐晃(じょこう)がやってきます。流石にこれには関羽も太刀打ちできず、というかそれ以前に補給が上手くいっておらず、撤退。

 

 

敗れる関羽雲長

 

 

その後、配下や呉の裏切りによって捕縛、斬首という流れになっています。駆け足で見るとこんな感じです。

 

 

関羽

 

 

樊城の戦いは最初の方は天が味方しているのかというほど、関羽は勝ち進みます。于禁軍が敗北したのも、大雨による水害での被害が大きかったのですから、これは勢いに乗って樊城を落とせるんじゃ?という気にもなろうと言うものですね。

 

朱然によって捕まる関羽

 

 

 

でも最終的には裏切りからの敗北、どうしてこうなったのか?そこで「if」。もしも、こうしていたらを考えていきましょう。

 

 

そもそも関羽の性格が…

関羽 3つの条件

 

元はと言えば呉が裏切ったのも、部下の糜芳(びほう)らに裏切られたのも、関羽の性格による所が大きい。だったら関羽の性格がもう少しどうにかなっていたら、どうでしょうか。

 

関羽に無視される孫権

 

 

 

例えば孫権(そんけん)との外交を下手に出れたら、受け流せるほどの外交手腕があれば、そもそも高圧的に孫権を罵らなければ、まだ望みはあったのか?

 

 

関羽に見惚れる赤兎馬

 

 

糜芳(びほう)らに普段から厳しかったが、それがなければ?もしかしたらこの結末もなかったかもしれませんね。ここは関羽の性格ありきの問題なのでやや「if」が難しいので、戦術的な面からも考えていきましょう。

 

 

英雄の武器特集

 

 

 

最大の敗因は、援軍を捕虜にしたこと?

于禁と兵士

 

筆者は樊城の戦い最大の失敗は、于禁軍の援軍を捕虜にしてしまったことだと思います。捕虜にしてしまったことで補給路確保が難しくなり、兵を割かなければいけなくなりました。これが捕虜さえいなければ糜芳との確執も少しは薄くなったかもしれませんし、徐晃とも真っ向勝負ができていたかもしれません。

 

 

漢馬を盗む食客をボコボコにする侯成(こうせい)

 

 

降伏した兵を丸ごと捕虜にして食事を与え、しかも足りなくなったら呉という同盟軍から略奪。

 

 

関羽は神様

 

 

これこそが関羽の最大のミスであり、同時に関羽という人間が義侠心があるというか、降伏者であれば敵でも見捨てない人物であるという魅力の分かる瞬間でもあります。

 

 

 

李典の援軍の上手な使い方は…?

鄧禹と兵士

 

 

では「if」として捕虜を関羽はどうするべきだったのか?個人的には武装解除後、解放でしょう。解放された兵士はどこへ行きますか?樊城ですね。樊城は現在どのような状況にありますか?籠城戦の真っ最中ですね。ええ、もはやどうすることもできません。逃げてきた兵を見捨てれば士気はもっと下がります。しかし受け入れれば食事もままならなかった樊城はほぼ持ちこたえられなくなります。

 

関羽の救援要請をシカトする劉封

 

 

そして受け入れようが受け入れまいが、頼みの援軍はもう樊城にこないのです。実際には翌月に援軍が来ますが、その状態で果たして樊城は持ちこたえられたでしょうか?対する関羽軍は援軍分の補給消費がなくなりますから、こちらにはプラス、相手にはマイナスの理想的な状況が作ることができます。

 

 

関羽と周倉

 

 

この卑怯とも言えるような手段を関羽が取ることができれば、もしも関羽がこの戦い方を選んだならば。樊城の運命は、そして蜀の運命は大きく変わっていたのではないかと思います。

 

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

歴史という既に終わった過程、結果を眺めているだけですから「もしも」も「if」も言うのは簡単なことです。しかしこの「if」を樊城の戦いで関羽がしていたら、どうなっていたでしょうか?

 

「しなかったから樊城の戦いでは負けた」ではなく敢えて「しなかったからこそ関羽は義侠心(ぎきょうしん)のある人物と呼ばれた」。決して関羽の戦略を貶める理由があってこれを書いた訳ではない、その思いを最後に綴らせて頂いて、まとめとしたいと思います。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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