彼は三国志演義などで冷酷な人間として言われておりますが、
人に対しての好悪が激しく気に入った人物は非常に可愛がっておりました。
しかし彼が嫌いになった人物にはかなり辛くあたっており、
現代風に言うといじめもしくはパワハラに該当するのではないのでしょうか。
今回は曹丕にいじめもしくはパワハラされた被害者達をご紹介したいと思います。
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この記事の目次
曹丕のいじめを受けた被害者その1:髑髏を馬の鞍に結びつけて馬鹿にする
一人目の被害者は王忠(おうちゅう)です。
彼は劉備が徐州(じょしゅう)で反乱を起こした際、
曹操から命じられて劉備討伐に行った武将です。
王忠は劉備軍にフルボッコにされ劉備から
「貴様みたいな将軍なら100人来ても負けないぜ!!」と罵られた人物です。
そんな彼ですが若い頃食料が無く飢えに苦しんでいたために、
人を食ったことがあるとんでもない人でした。
曹丕は彼が人を食ったことがあるのを知っていたので、
側近に命じて墓場から髑髏を持ってこさせて、
彼が乗っている馬の鞍に結びつけたそうです。
これを見た諸将は彼の馬を見て大爆笑したそうですが、
王忠はこの時「くそ~曹丕の小僧!!調子くれやがって」と
内心激怒していたのではないのでしょうか。
史実に記載されていないので彼の気持ちを推し量るのは難しいですが、
諸将から大爆笑されていい気分な人などいないのではないのでしょうか。
曹丕のいじめを受けた被害者その2:醜い顔の男と結婚させる娘がかわいそう。
曹丕のいじめを受けた二人目の被害者は丁儀(ていぎ)です。
丁儀は才能豊かな人物で曹操からも気に入られていた人物でした。
曹操は丁儀が曹操に仕える前に優れた人物であるという噂を聞いただけで、
自らの娘と結婚させようとします。
すると曹丕は曹操へ「女性は結婚相手の容姿を気にするものです。
彼は固めが小さくて顔がカッコよくない人物です。
そのため娘が彼のようなカッコよくない人物と結婚してしまえば、
かわいそうではないですか」と丁儀に妹を嫁へやるのを反対します。
曹操は曹丕の反対意見を聞いて丁儀へ娘を与えることをしませんでした。
丁儀は曹丕の妨害によって曹操の娘と結婚できなかったことを恨み、
「野郎。ぜって~許さねぇからな!!」と激怒し、
丁儀は曹植と親密になって曹操の後継者へ押し上げるために色々と画策して、
曹丕に恨みを晴らそうとしておりました。
曹丕のパワハラを受けた被害者その3:一生懸命戦ったのに・・・・こんな仕打ちをするとは
曹操の古参の武将として活躍していた于禁(うきん)。
彼は曹操に命じられて関羽軍に猛攻を受けていた樊城を救援するべく大軍を率いて出陣。
しかし彼の軍勢は漢水の氾濫によって孤立することになり、
そこを関羽軍に攻められてしまったために関羽へ降伏することにします。
その後彼は呉軍が荊州(けいしゅう)を関羽から強奪して占領すると、
呉の領土で生活することになります。
曹丕が皇帝の位に就任すると孫権は于禁を魏へ返還する事にします。
于禁は魏へ帰還すると曹丕と会見。
曹丕は于禁のやつれた顔や白くなった髭を見て彼を慰めたそうです。
その後于禁を呉へ使者として派遣する際、
彼へ「于禁よ。父の墓を見舞ってから呉へ行くが良い。」と提案します。
于禁は曹丕の提案に従って曹操の墓の前に来ると驚くべき物が墓に書かれていました。
それは于禁が関羽軍に敗北して降伏する姿が描かれていたのです。
この姿を見た于禁は激怒して病に伏せってしまったそうです。
ついでにこの絵を書かせたのはパワハラ上司・曹丕なのは言う必要はありませんね。
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三国志ライター黒田レンの独り言
曹丕はこのように色々な人をいじめたり、部下に対してパワハラを行ったりしておりました。
于禁は曹丕のパワハラが原因で亡くなってしまうのですが、
曹丕は彼が亡くなると彼の息子に爵位を継がせているため、
必ずしも彼が憎くて行ったわけではないのでしょうがやりすぎではないのでしょうか。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書3 今鷹真・井波律子著など
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