『三国志』から中国史に魅せられ、
中国の歴史を本格的に学び始めたという人も
少なくないでしょう
しかし、多くの人が
三国時代の次に訪れる
王朝がとっかえひっかえ、
入れ替わり立ち代わり現れる時代に
四苦八苦すると思います。
そして、何かあると現れる
「魏晋南北朝時代」やら「六朝時代」やらの
見慣れない時代の名前…。
しかも、よくよく読んでみると、
「魏晋南北朝時代」も「六朝時代」も
同じ時代を指しているような…。
この2つの時代は結局同じなのか?
それともやはり違うのか?
その謎を解き明かしていきたいと思います。
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六朝時代とは
六朝時代という言葉は
特に中国文学史を学んでいると
現れる言葉です。
六朝時代の六朝が指しているのは
建業(建康)すなわち現代の南京を都とした王朝である
これらの王朝の共通点は
中国大陸の南にあったということです。
三国時代に鼎立した王朝も、
蜀、魏、呉の順に滅ぼされ、
およそ百年ぶりに中国の統一を果たした晋(西晋)王朝でしたが、
たったの数十年で八王の乱が巻き起こって
晋王朝の地盤はボロボロのスカスカになってしまいます。
それを見ていた北方の異民族・匈奴は、
これを好機と晋王朝からの独立を宣言。
匈奴の首長である劉淵は皇帝を名乗り、
漢(後の前趙)を建国したのでした。
しかし、そんな身勝手な匈奴をどうこうする以前に
西晋の朝廷内部では懐帝と司馬越が対立。
懐帝はついに司馬越の討伐に乗り出して
司馬越を追い詰めます。
司馬越が逃避行の末に病に臥して亡くなると、
目ざとい匈奴は再び西晋王朝に襲い掛かりました。
永嘉の乱のはじまりです。
司馬越の後を継いで元帥となった王衍が
10万を超える兵を率いてそれを迎え撃つも、
匈奴の豪傑・石勒によって打ち破られ、
あっという間に西晋の首都・洛陽は陥落してしまったのでした。
その後、懐帝や愍帝が
匈奴によって辱められて殺されると、
江南にいた司馬睿が即位して元帝となり、
建康に都して東晋王朝を立てました。
南に建てられた東晋王朝には
北の匈奴からの迫害から逃げてきた
貴族や文人たちが次々と集まり、
人々は乱世を嘆いてその思いを
詩や文で表現するようになります。
また、東晋以後、
南で建てられた王朝では、
論理を超越した老荘思想が流行し、
更に仏教も浸透していくようになりました。
このように、貴族文化が栄え、
老荘思想や仏教が流行した南の国々の時代を総称して
六朝時代と呼ぶようになったのです。
魏晋南北朝時代とは
一方、魏晋南北朝時代というのは、
魏と西晋、
そして晋を南に追いやった匈奴が建てた前趙(漢)と
その他の異民族によって多くの国々が乱立した時代を指します。
ちなみに、前趙が晋を滅ぼして以降のカオスな時代は
五胡十六国時代とも称されています…。
この魏晋南北朝時代は
基本的には中国大陸でも
北の方に建った王朝の時代を中心に
指し示すものと考えて良いでしょう。
魏や西晋では後に六朝文化として花開く
儒教にとらわれない老荘思想や文学、そして仏教が栄えます。
その中でも代表的な存在が
魏の曹操が愛した建安の七子や竹林の七賢です。
しかし、その漢民族が築き上げた文化の中心地は
西晋の滅亡と共に南へと移っていってしまいます。
その後、異民族は
漢民族の真似をして儒教を学んだり
老荘思想を学んだりしますが
どうにも南の王朝のような華やかな文化を
開花させることはできず、
南の王朝からは文化の無い蛮族として
見下されてしまうのでした。
しかも、南は肥沃な土地が広がり、
食うに事欠くことはありません。
南の華やかな文化と豊かな土地や食料は
北の異民族にとっては羨ましくて仕方のないものでした。
そういうわけで、
北の異民族王朝は度々南の食料や文化を奪おうと
南の王朝を度々襲いました。
それを受けた南の王朝は衰えていき、
ついには滅亡してしまいます。
こうして北と南、
小国と小国の小競り合いが繰り広げられ、
国が興っては滅んでいく
中国史上最もカオスな時代が生まれたのでした。
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結局、六朝時代と魏晋南北朝時代は同じなの?
結局、六朝時代と魏晋南北朝時代は
違うものなのか?同じものなのか?
ここまで読んでもよくわからないという人も
やっぱりいると思います。
結論を言えば、
六朝時代と魏晋南北朝時代というのは、
指し示している時代の時間はほぼ同じですが、
その指し示している時代の場所が少し違うのです。
六朝時代は華南の王朝が築いた時代を指し、
魏晋南北朝時代は華北の王朝が築いた時代を中心に指します。
ただ、そのどちらも南朝と呼ばれる
東晋・宋・斉・梁・陳を含んでいます。
そしてその2つの時代はいずれも
後漢が滅びた後から
隋が再び中華を統一するまでの時代を指しているのです。
三国志ライターchopsticksの独り言
カオスすぎて逃げ出したくなりますが、
特に中国文学を学びたいという人は
頑張っておさえておきたい時代です…。
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