八王の乱から漢の建国、劉淵の凄さを徹底解剖します。

2021年11月24日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

漢王朝として独立した劉淵

 

今回は(はちおう)の乱で荒れに荒れた晋王朝の中で見事独立建国を果たした劉淵(りゅうえん)のお話です。

 

劉淵に匈奴を集めるよう指示する司馬穎

 

前時代から問題になっていた異民族の問題、そこでやらかした司馬穎(しばえい)

 

劉淵は司馬穎を助けようとしないことを決める

 

しかし司馬がただ失態しただけではなく、「漢の建国」を果たした劉淵の凄さ、強かさについてお話したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【無料告知希望の皆様へ】 はじめての三国志無料告知希望



南匈奴の王子・劉淵

匈奴の劉淵

 

劉淵は左賢王・劉豹(りゅうひょう)の息子です。この父親の時代から劉姓を名乗るようになりましたが、この事が彼の人生に大きく関わってきます。しかし幼い頃の劉淵は人質となって洛陽で過ごしていました。

 

晋王朝を作った司馬炎

 

このため司馬炎(しばえん)らと面会した記録もあり、その才覚の凄さから後の脅威となるとも言われてきました。それでも異民族ということもあり、高い地位に付けられることはなく、雌伏の時を過ごします。

 

関連記事:司馬炎はなぜ呉を滅ぼすのに15年かかった?中華統一はどうでもいいの?

関連記事:司馬炎の政治力が三国時代を終わらせた!晋の創始者の政治から学ぶ「妙」

 

はじめての列子

 

 

 

八王の乱で独立

三国志のモブ 反乱

 

そんな劉淵が晋王朝から独立の機会を得たのが何を隠そう八王の乱です。ここで八王の乱のメンバーの一人、

 

劉淵に匈奴を集めるよう指示する司馬穎

 

司馬が司馬越たちと対抗するために劉淵に五部に分割されていた匈奴(きょうど)の兵力を結集して戦いに協力しろ、と命令を出しました。

 

司馬越を横目に力を蓄える劉淵

 

これで劉淵は散らばっていた異民族を集結させ、武装させる良い理由ができたのです。こうして劉淵は見事晋から独立、漢の建国を果たしました。

 

関連記事:司馬越とはどんな人?八王の乱の一人で全ての終焉となった漢

関連記事:司馬模とはどんな人?八王の乱のサブメンバー?

 

八王の乱

 

 

劉淵の賢い所

野望を抱く劉淵

 

さてただ力を手に入れたことをチャンスに建国した、だけでないのが劉淵の凄い所。

 

劉邦はヤンキー

 

まず建国した国、これは「漢」です。漢と言えば皆さんご存知、高祖劉邦(りゅうほう)が建国した国であり、劉備(りゅうび)もこの末裔として漢を建国しました。そして劉淵もまた、劉邦の義兄弟の末裔として漢の建国を行ったのです。

 

関連記事:劉邦から劉備に続く『漢』という時代の影響を考察してみる

関連記事:劉邦はなぜ大粛清を行ったのか?劉邦の粛清を少し考えてみる

 

楚漢戦争

 

 

冒頓単于

 

ちょっとこの辺はややこしいので解説しておきましょう。かの劉邦の時代、項羽(こうう)を打ち破り敵なしかと思われた劉邦に敗北の苦みを再び味わわせたのが、匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)でした。

冒頓単于と劉邦

 

ぼっこぼこにやられた劉邦は匈奴と講和を結び、その際に公主を奥さんとして差し出す、毎年貢物を贈る、漢と匈奴で兄弟の盟約を結ぶという講和条件を出しています。劉淵はこれを利用して、漢王朝復興という良い理由を付けて独立したのです。

 

関連記事:【匈奴にも名言は存在していた】冒頓単于の名言「地は国の本なり」

関連記事:冒頓単于(ぼくとつぜんう)とはどんな人?漢帝国の宿敵で匈奴の名君Part.1

 

三国志と異民族

 

 

名目は念入りに

「漢」を建国宣言して勝手に独立した劉淵

 

また劉淵は劉禅(りゅうぜん)に「孝懐皇帝」と諡号、曹氏、司馬氏は帝位の簒奪(さんだつ)者とすることで、皇帝に反逆するものではなく、あくまで漢王室に対しての簒奪者たちへの誅殺という題目を掲げました。

 

漢王朝として独立した劉淵

 

これらもとても念入りな行動ですね。一歩間違えればただ弱った国に好機と反逆の狼煙(のろし)を挙げただけの人物になりそうな所を、漢王朝という人々の記憶に強く残っていた王朝を利用し、建国したのです。この辺りはある種、劉備にも通じる所がありますが、もう一つこの劉淵の行動で思い起こされる人物がいないでしょうか。

 

関連記事:汚名返上できる?劉禅を評価できる逸話とは?

関連記事:出師の表が広まった理由は劉禅がおバカだったから?

 

劉禅

 

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
セン

セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-五胡十六国
-, , ,