江東の小覇王として知られ、いくつもの戦いに勝利してきた孫策。孫策は剣や戟、弓矢など色々な武器を戦で使ってきたと思いますが、孫策の最強の武器ってみなさん何か知っていますか。それは・・・・言葉とハンコだったんです!!
孫策の最強の武器一つ目は言葉!?
孫策の最強の武器は言葉です。江東の小覇王と呼ばれた孫策の最強武器がどうして言葉なのでしょうか。
一世一代の大勝負!!
孫策は袁術の元に到着すると袁術へ「どうか私に叔父を助けさせていただけないでしょうか。もし叔父を助けることに成功すれば、すぐに故郷へ戻り、三万の兵士を手に入れてみせましょう。三万の兵士を手に入れることができれば、あなた様を大いに助けたいと思います」と言葉を尽くして説得。
袁術は孫策の叔父が劉繇の部下に苦戦している事を知っていたので、彼に孫堅軍の兵士数千を与える決断を下します。こうして孫策は袁術から父の軍勢を取り返すことに成功し、江東へと出陣していくことになるのです。孫策にとって袁術を説得したときが彼の生涯の中で一番弁舌を振るった時だと言えるでしょう。ここで孫策が必死に袁術を説得したことで、孫策は父・孫堅の軍勢をある程度ではありますが、取り戻すことができ、ここから孫策が袁術の元を離れて独立勢力としてのし上がっていくことになるのです。
このことを考えれば孫策にとって一世一代の大勝負だったのではないのでしょうか。
孫策の最強武器はハンコ!?
上記は正史三国志でのお話ですが、三国志演義の孫策の最強の武器はまた違ったものになります。では三国志演義における孫策の最強武器は一体何なのでしょうか。それはハンコですが、ただのハンコではなく特別製のハンコです。ハンコでは敵兵を倒すこともできないのに、どうして孫策の武器が特別製のハンコなのでしょうか。
特別製のハンコは玉璽!!
孫策が持っていた特別製のハンコは玉璽です。この玉璽ですが皇帝だけしか持つことが許されない特別製のハンコです。どうして孫策はこのハンコを持っていたのか。
それは孫策の父・孫堅が洛陽の井戸から見つけ出し、孫堅の死後、孫策が形見として持っていたからです。そして孫策はこの父の形見として持っていた玉璽をある物と交換するのです。
玉璽と兵士を交換
孫策は袁術の元に身を寄せていましたが、父の軍を返してもらうことができずに袁術軍の武将としてこき使われていました。孫策は袁術の元から父の軍勢を取り戻すため、袁術に父の形見である玉璽をあげるから父が保有していた軍を返してくれとお願いします。
すると袁術は孫策の要請を受け入れて、彼に父の軍勢の一部を返還。孫策は袁術のセコさに怒りを覚えますが、グッとこらえて父の軍勢を率いて江東へ向けて出陣することになります。孫策は玉璽と兵士を交換することで袁術の元から離れることに成功。
孫策はその後、江東全域に勢力を拡大することになり、一大勢力に変貌を遂げることになるのです。もし孫策が孫堅軍の兵士を返還してもらうため、玉璽を手放すことをしなければ、一生袁術軍の武将だったかもしれません。このように考えれば三国志演義における孫策の最強の武器は玉璽であると言えるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は孫策の最強の武器を紹介しました。意外だと思った方も多くいるかもしれません。でも孫策が袁術から孫堅軍の兵士を返してもらうことができなければ、三国志を形成した孫呉の勢力が生まれることはなく、魏が天下統一していたかもしれません。このことを考えれば孫策の武器は武力や国力ではなく、正史三国志においては言葉。三国志演義では玉璽が最強の武器と言えるのではないのでしょうか。
■参考 正史三国志呉書等
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