孫策の最強の武器なんと・・・・言葉とハンコ(玉璽)

2018年12月18日


 

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呉の勢力を率いる孫策

 

江東の小覇王として知られ、いくつもの戦いに勝利してきた孫策(そんさく)。孫策は剣や(げき)、弓矢など色々な武器を戦で使ってきたと思いますが、孫策の最強の武器ってみなさん何か知っていますか。それは・・・・言葉とハンコだったんです!!

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫策の最強の武器一つ目は言葉!?

孫策、陸遜、顧邵、他

 

孫策の最強の武器は言葉です。江東の小覇王と呼ばれた孫策の最強武器がどうして言葉なのでしょうか。

 

 



一世一代の大勝負!!

袁術と孫策

 

孫策は袁術(えんじゅつ)の元に到着すると袁術へ「どうか私に叔父を助けさせていただけないでしょうか。もし叔父を助けることに成功すれば、すぐに故郷へ戻り、三万の兵士を手に入れてみせましょう。三万の兵士を手に入れることができれば、あなた様を大いに助けたいと思います」と言葉を尽くして説得。

 

袁術は孫策の叔父が劉繇の部下に苦戦している事を知っていたので、彼に孫堅(そんけん)軍の兵士数千を与える決断を下します。こうして孫策は袁術から父の軍勢を取り返すことに成功し、江東へと出陣していくことになるのです。孫策にとって袁術を説得したときが彼の生涯の中で一番弁舌を振るった時だと言えるでしょう。ここで孫策が必死に袁術を説得したことで、孫策は父・孫堅の軍勢をある程度ではありますが、取り戻すことができ、ここから孫策が袁術の元を離れて独立勢力としてのし上がっていくことになるのです。

 

このことを考えれば孫策にとって一世一代の大勝負だったのではないのでしょうか。

 

一騎打ち

 

 

孫策の最強武器はハンコ!?

呉の小覇王・孫策

 

上記は正史三国志でのお話ですが、三国志演義の孫策の最強の武器はまた違ったものになります。では三国志演義における孫策の最強武器は一体何なのでしょうか。それはハンコですが、ただのハンコではなく特別製のハンコです。ハンコでは敵兵を倒すこともできないのに、どうして孫策の武器が特別製のハンコなのでしょうか。

 

 

特別製のハンコは玉璽(ぎょくじ)!!

玉璽

 

孫策が持っていた特別製のハンコは玉璽(ぎょくじ)です。この玉璽ですが皇帝だけしか持つことが許されない特別製のハンコです。どうして孫策はこのハンコを持っていたのか。

 

 

玉璽を見つけた孫堅

 

それは孫策の父・孫堅が洛陽の井戸から見つけ出し、孫堅の死後、孫策が形見として持っていたからです。そして孫策はこの父の形見として持っていた玉璽をある物と交換するのです。

 

 

玉璽と兵士を交換

玉璽に興奮する袁術

 

孫策は袁術の元に身を寄せていましたが、父の軍を返してもらうことができずに袁術軍の武将としてこき使われていました。孫策は袁術の元から父の軍勢を取り戻すため、袁術に父の形見である玉璽をあげるから父が保有していた軍を返してくれとお願いします。

 

すると袁術は孫策の要請を受け入れて、彼に父の軍勢の一部を返還。孫策は袁術のセコさに怒りを覚えますが、グッとこらえて父の軍勢を率いて江東へ向けて出陣することになります。孫策は玉璽と兵士を交換することで袁術の元から離れることに成功。

 

周瑜と孫策(断金の交わり)

 

孫策はその後、江東全域に勢力を拡大することになり、一大勢力に変貌を遂げることになるのです。もし孫策が孫堅軍の兵士を返還してもらうため、玉璽を手放すことをしなければ、一生袁術軍の武将だったかもしれません。このように考えれば三国志演義における孫策の最強の武器は玉璽であると言えるのではないのでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は孫策の最強の武器を紹介しました。意外だと思った方も多くいるかもしれません。でも孫策が袁術から孫堅軍の兵士を返してもらうことができなければ、三国志を形成した孫呉の勢力が生まれることはなく、魏が天下統一していたかもしれません。このことを考えれば孫策の武器は武力や国力ではなく、正史三国志においては言葉。三国志演義では玉璽が最強の武器と言えるのではないのでしょうか。

 

■参考 正史三国志呉書等

 

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袁術祭り

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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