蜀の忠臣・諸葛亮が敵国の魏を討つために行った北伐。いろんな三国志物語の種本になっている歴史物語小説の三国志演義では、五度の北伐が描かれています。その中の第四次北伐では、諸葛亮が分身の術で敵を翻弄する面白シーンがありますよ!
補給に頭を悩ませる
諸葛亮の分身のきっかけは、兵糧不足です。蜀から魏への遠征は、険しい山を越えて行くため、兵糧の運搬が大変です。本土からの輸送に頼ろうとすると、どうしても滞りがちになり不足してきます。第四次北伐は春に開始され、諸葛亮が作戦を展開する際に目標地点とした祁山近辺に到着した頃にはちょうど現地の麦が実る季節になっていました。そこで、諸葛亮は現地の麦を刈り取って自軍の兵糧にあてることにしました。ヒャッハー、徴発だー!
司馬懿が来ただと? 風呂を沸かせ!
三国志演義で諸葛亮のライバル役になっている魏の司馬懿は、はるか離れた荊州方面軍の責任者でしたが、蜀への対応のために呼び戻され、こちらの現場にきていました。諸葛亮が麦刈りに向かうと、先行していた部隊からこんな報告が入りました。「司馬懿が兵を率いて滞陣しております」
「あいつは私が麦を刈りにくることを読んでいたのだな」一瞬驚いた諸葛亮。つづいて沐浴を始め、服を着替えます。そうして、自分が普段乗っている四輪車とそっくりの車を三輌出してきて、武将に指示を出しました。「姜維は兵一千を率いて車を守り、五百に軍鼓を打たせ、上邽の後ろに伏せよ。
馬岱は左、魏延は右に、それぞれ兵一千を率いて車を守り、五百に軍鼓を打たせよ。各車輌に二十四人ずつ付け、黒衣をまとい裸足になり、髪を振り乱して剣を杖とし、手に北斗七星の幡(のぼり)を持たせ、左右に付けて車を押させよ」諸葛亮もまた同じ格好をした兵に車を護衛させることとし、そっくりな怪しい集団が四つできました。そうしておき、三万の兵達にせっせと麦刈りを進めさせました。
【北伐の真実に迫る】
ゆっくり進む諸葛亮に追いつけない
司馬懿の斥候が諸葛亮の車を発見し、あまりにも怪しい様子に人か魔物かといぶかりながら、急いで司馬懿に報告しました。司馬懿はこう言いました。「孔明(諸葛亮のあざな)め、またしても怪しいことをしおって」またしても、ですと。
司馬懿の中では諸葛亮って怪しいことばかりする人のイメージなんですね。司馬懿は面倒な小細工など力ずくで粉砕だと言わんばかりに軍勢を放ち、車ごと引っ捕らえて来るよう命じます。追っ手が来るのを見た車はゆったりと引き返して行きます。
司馬懿の軍勢が馬を駆って追うと、あやしい風がおこり、冷たい霧が立ちこめ、追いつくことができません。追っ手は驚いて、馬を止めて不思議がりました。「面妖なことじゃ。三十里も猛追したのに目の前にいる者に追いつけないとは。どうしたことであろう」
げっ ここにも孔明!
魏軍が止まると、諸葛亮の車も止まりました。魏兵はしばらくためらった後、また進み始めると、諸葛亮の車も進みます。二十里も追いましたが、目の前にいる車に追いつくことができません。司馬懿はこう言いました。「孔明は八門遁甲に通じ、六丁六甲の神を使役することができる。
今のこれは六甲天書の『縮地』の法である。追ってはならぬ」変なせりふですね。ひとこと「追撃やめ」って言えばいいのに、わざわざ敵が神通力を持っていると吹聴するなんて。大軍の司令官としてありえませんよ。司馬懿が引き上げようとすると、ジャーン ジャーン ジャーン 左手からも諸葛亮の車が!「こ ここにも孔明が現われたぞ」
右手からも諸葛亮の車が!
「げっ ここにも孔明!」
ジャーン ジャーン
「げえっ ここにも現われた い いったい蜀軍はどれぐらいいるのじゃ」
司馬懿の軍はパニックになって逃げ帰りました。この隙に蜀軍はちゃっかり麦刈りを済ませましたとさ。(「ジャーン ジャーン」から 「蜀軍はどれぐらいいるのじゃ」までのせりふは横山光輝三国志単行本56巻より抜粋)
三国志ライター よかミカンの独り言
以上が三国志演義にある分身の術のお話でした。一見ファンタジーのようですが、そっくりな車を四輌用意して敵を翻弄しただけですね。(ゆっくり進んでいるのに追いつけないのは不思議でしたが)怪しげな風体で敵の疑心をさそって翻弄し、麦刈りをする時間を稼いだという鬼謀神算エピソードです。
分身の術は演義のお話でしたが、諸葛亮が当地で麦を刈ったことは正史三国志諸葛亮伝の注釈に引かれている『漢晋春秋』にも書かれています。正史三国志郭淮伝によれば、現地の穀物が枯渇して魏軍は困ったのですが、郭淮が原住民を手なずけて穀物を供出させてなんとかしのいだそうです。郭淮が原住民を手なずけることができた要因の一つとして、蜀軍が勝手に麦を獲っちゃったことに原住民が腹を立てていたという可能性も考えられますね。
蜀軍の狼藉のために、原住民と魏軍が一枚岩に……?だとすると、蜀軍が麦を刈ったことは、自分たちの首を絞めることにつながったのかもしれません。
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