中二病の象徴といえば眼帯ですよね。お目目を怪我したときに付けるドラッグストアでよく売っている白い眼帯をぎこちなく付け、数分ごとにズレを気にしていじくっているさまは、痛々しいを通り越して、もはやほほえましく感じられます。
ところで、なぜ中二病患者が眼帯に憧れるのでしょうか?
それはおそらくアニメなどで活躍する強くて魅力的なキャラクターに独眼竜が多いからでしょう。独眼竜といえば伊達政宗が思い浮かびますが、『三国志』に登場するキャラクターにも超有名な独眼竜がいますよね。
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眼帯といえば夏侯惇!
『三国志』に登場する独眼竜といえば、言わずと知れた夏侯惇。曹操が挙兵してから曹操に常に付き従ってきた猛将です。彼が隻眼の武将として広く知られるようになったのは、『三国志演義』のあるエピソードからでしょう。
夏侯惇は呂布討伐に出かけた際、敵将・曹性の矢を受けて大けがを負ってしまいます。しかし夏侯惇は決してひるむことなく、矢を眼球ごと引き抜いて「親から授かったこの体、どうして棄てることなどできようか!」と叫んで左目をパクリ。
更に、猛然と曹性に襲い掛かって討ち取ったのでした。
ちなみに、正史『三国志』では流れ矢が左目に刺さって隻眼になり、夏侯淵と区別するために「盲夏侯」というあだ名をつけられ、鏡で自分の顔を見る度にイライラして鏡を投げ捨てまくっていたそうな。本人にとっては不名誉な隻眼ですが、隻眼だからこそその格好良さが際立ち、今や中二病患者たちの憧れの存在となっているのですからなんとも皮肉なものですね。
あれ?『一騎当千』では呂蒙にも眼帯が…
『三国志』の独眼竜は夏侯惇だけのはずなのですが、『三国志』ファンの中には「あれ?呉の呂蒙も左目に眼帯を付けていなかったっけ?」と思った人もいるのではないでしょうか。それも仕方のないことでしょう。
なぜなら、『三国志』をモデルにした大人気漫画『一騎当千』では呂蒙を模したキャラクターの左目にもちゃっかり眼帯が付けられているのですから…!このキャラクターを見ていると、「あれ?実際呂蒙ってどうだっけ…?眼帯付けてたっけ…?」と不安になります。
では、実際に呂蒙は眼帯を付けていたのでしょうか?その真相をチェックしてみましょう。
呂蒙は実際眼帯をしていたのか?
正史とされている陳寿『三国志』では、呂蒙伝を一文字一文字チェックしていっても「隻眼」だとか「眼帯」だとか「独眼」だとか、そういった類の記述を見つけることはできません。呂蒙伝に付けられた裴松之の注も同様、呂蒙が隻眼であったという記述は見られません。
他の伝に出てくる呂蒙の記述をチェックしてみても、やっぱり呂蒙が隻眼であったということは書かれていません。それどころか、おそらく『一騎当千』の作者が参照したであろう『三国志演義』にも呂蒙が隻眼であったということを示す記述は見当たりません。
呂蒙は史実の上でも小説の上でも夏侯惇のような隻眼の武将ではなかったようです。
キャラの個性を出すために呂蒙に眼帯を付けてみた?
では、なぜ『一騎当千』において呂蒙は眼帯を付けた隻眼キャラとして描かれているのでしょうか?
ファンの多くは「『三国志』に明るくない作者が夏侯惇と呂蒙を勘違いしてしまった」と考えているようです。しかし、もしかしたら『一騎当千』の作者はあえて呂蒙を隻眼キャラにしたのかもしれません。隻眼といえばやはり強いイメージがありますから、呂蒙を強いキャラクターであると印象付けるためにあえて史実に従わなかったのでしょう。
三国志ライターchopsticksの独り言
『三国志』に登場する隻眼の武将は夏侯惇くらいのものです。しかし、『三国志』の創作物であれば、ぶっちゃけ作者の自由ですから、誰でも隻眼の眼帯キャラにしてしまって良いのではないでしょうか。
元々の人物のイメージにとらわれず、自由な発想に従ってキャラクターを作って行けば、『三国志』の二次創作もますます盛り上がるかもしれませんよ。
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