こんにちは。古代史ライターのコーノヒロです。
今回は、邪馬台国女王・卑弥呼に追従していた、男弟の正体について探っていきたいと思います。卑弥呼の側近として、常に寄り添い、表に顔を出さなかった卑弥呼の代わりに、表に出て、卑弥呼の言伝てという形で、民衆に伝え、政治を取り仕切っていたのは、何を隠そう、その男弟なのです。
事実上の王の役割を果たしていたのではないかと推測する説も目にします。ということは、以前の記事で紹介した、重臣・難升米についての説と相反することになってきますね。
以前、紹介した説では、難升米は邪馬台国の総理大臣的な立場だったかもしれないという説でした。どういうことでしょうか?
新たな謎がでてきましたね。詳しく見ていきましょう。
アマテラスのもう一人の兄弟神
以前からの説で卑弥呼はアマテラスのモデルだったかもしれないことを紹介してきました。今回もこの説に基づき、話をしていきますと、アマテラスには、弟がいました。有名なスサノオです。
ヤマタの大蛇を倒した英雄でもあり、荒ぶる王としても伝わっていて、前々からお話しているのは、そのスサノオが、古代出雲王国の初代国王であり、また、卑弥呼に敵対した、狗奴国を統率した、卑弥弓呼の正体だということです。
つまり、スサノオは、卑弥呼(アマテラス)の弟でありながら、邪馬台国ではない、別の国の国主であったということです。ですから、スサノオは卑弥呼に追従していた、男弟ではないということが、はっきりしているのです。
そこで、注目したいのは、アマテラスの兄弟はスサノオ以外にもいたという事実なのです。それがツクヨミ(月読命)です。ツクヨミは、アマテラスの弟で、スサノオの兄にあたる神として、「記紀」(『古事記』・『日本書紀』)に登場します。夜を統べる月の神として記述され、太陽の神のアマテラスに相対的で、陰の存在と伝わっている印象です。
アマテラスやスサノオと並び、「三神」や「三貴子」と称されて、敬われています。ただ、アマテラスやスサノオと違い、それら「記紀」などの話には、登場する場面が限られている印象です。
しかし、アマテラスの弟神ということは、卑弥呼の男弟と言えないでしょうか?ということなのです。
ツクヨミは天皇?
ここで、ツクヨミについて書かれた興味深い説をご紹介します。それは『ツクヨミ秘された神』(戸矢学 著/河出書房)の中の説です。
これによると、
ツクヨミは天武天皇(天武帝)がモデルだというのです。天武天皇と言えば、邪馬台国の卑弥呼統治時代から約400年の時を経た後の飛鳥時代の天皇ですね。天武帝は、大和朝廷を二分した「壬申の乱」という天下分け目の戦を制し、天皇に即位した人物です。
又、日本史上初めて、天皇の称号を使い始めたとも伝わっています。さらに大きな功績として、天武帝の命で編纂された「記紀」(『古事記』と『日本書紀』)があります。これは、神話性の富んだ、日本史の歴史書とも伝わっていますね。
そして、その「記紀」の成立目的とは、国内外に、天皇の威厳を見せつけるものであったとも言われています。そのために、天武帝の時代にも偉大な女王として伝わっていた、邪馬台国の女王・卑弥呼を太陽神アマテラスに置き換え、天武帝は自身を、月の神で、月の皇子のツクヨミに同化させる書き方をしたというのです。
つまり、天皇=ツクヨミですから、天皇は、太陽神のアマテラス(卑弥呼)を支える存在と解釈していたということでしょうか。ただ、天武帝の次代の持統天皇(持統帝)[天武帝の妃]は、天皇そのものが、女王・卑弥呼(アマテラス)に置き換えられ、皇子や別の大臣等がそれを補佐するツクヨミに置き換えられたと解釈できるようです。
そして、その持統帝以降、孝謙天皇(称徳天皇)の時代まで、約80年に渡り、4名の女性天皇が輩出されることになったのは、編纂されたばかりの「記紀」に登場するアマテラス(卑弥呼)への意識が強く働いたと見てよいのでしょう。
女帝=アマテラス(卑弥呼)=太陽神であり、それを補佐するのが皇子や大臣などの男=ツクヨミ=月の神(月の皇子)なのです。太陽と月は、表裏ですが、一心同体で切っても切れない関係と見られてきました。その関係を当時の大和朝廷の権力組織の型として求められたのでしょうか。
邪馬台国の内務大臣だったツクヨミ?
それでは、ツクヨミの実際のモデルとは何者だったのでしょうか?先述のように、卑弥呼の男弟で、邪馬台国諸国連合の政治を、表で取り仕切っていた人物として推測されますが、はっきりとした名前は分かっていないようですね。
ただ、ここで新たな疑問として浮上するのが、邪馬台国の重臣・難升米の役割はどうであったのか?ということです。難升米と言えば、以前の記事で、邪馬台国の総理大臣的な立場だったのではないかとの話をしました。
そのことは、作家の松本清張が過去に指摘しています。しかし、先述のように、女王・卑弥呼の男弟が、ツクヨミのように月影の存在で、卑弥呼を支えたのなら、その男弟「ツクヨミ」が、むしろ総理大臣とも言えそうです。
とすれば、おそらく、難升米は、北九州の大宰府あたりに滞在し、外交に専念していた可能性が高いでしょう。つまり、難升米は邪馬台国の外務大臣的な立場であったと言えるでしょうか。
比べて、卑弥呼の男弟「ツクヨミ」は、総理大臣あるいは、内務大臣と言ってよいでしょう。そして、カリスマ的な象徴として、女王・卑弥呼が頂点に君臨していたのでしょう。と、ここまでお話しますと、この三人の人物の関係から「三種の神器」の原点が見えてきましたね。
それは、卑弥呼(アマテラス)は鏡で、男弟(ツクヨミ)は勾玉で、難升米は剣ですね。邪馬台国の卑弥呼女王統治時代の権力中枢の三人の役割が、三種の神器に表象化されるようになったのだと推測できるでしょう。
終わりに
しかし、そうだとすると、難升米が剣の象徴だということですから、アマテラスの実の弟のスサノオはどこにいったのでしょうか?という疑問が浮かびます。
次回は、その疑問についてと三種の神器の秘密についてをお話したいと思います。お楽しみに。
【参考文献】
◆新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉 (岩波文庫)
日本古代史を分かりやすく解説「邪馬台国入門」
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