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キングダム592話ネタバレ雑学「王翦や李牧のあの策略の元ネタ暴露」

2019年3月4日


 

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キングダム53巻

 

大人気春秋戦国時代漫画キングダム、登場人物の迫力ある武勇もさることながら一見、非力に見える軍師たちの計略も見せ場の一つです。

しかし、読者をびっくりさせる数々の策略は作者のオリジナルでしょうか?

おそらくオリジナルなものもあるのですが、実は日本の戦国時代からアイデアを拝借したモノもあります。

そこで、今回は鄴攻めで披露された策略で元ネタが日本の戦国時代にあるものをネタバレしてみようと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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キングダム592話ネタバレ雑学 列尾の壊れやすい城の元ネタ

 

(ぎょう)攻略戦の序盤、王翦(おうせん)を総大将に、楊端和(ようたんわ)桓騎(かんき)を左右の大将として攻略した趙王国の国門、列尾(れつび)の話があります。

そこは、思った以上に簡単に陥落してしまい秦軍は拍子抜けしてしまうのですが、実はそれは李牧の罠で、敢えて防御力が弱い城を構える事で

再奪還(さいだっかん)を容易にし秦軍の食糧補給を不安定にしようと意図したものでした。

※ここでは、河了貂が逸早く列尾城の弱点を見抜くシーンがありましたね。

 

ここは鄴攻略戦でも大きなターニングポイントで、列尾を守る事に不安を覚えた王翦は趙の国門を通じて、咸陽から安定して兵糧を運び入れる方法を

断念し、電撃戦に打って出るようになるのです。

この時から鄴攻めは食糧が先に無くなった方が負けるという神経戦に突入します

 

※飛信隊と玉鳳隊が覚醒してからは、設定は割とどっちらけになりました。

 

 

 

キングダム592話ネタバレ雑学 ハリボテの駄原城

 

オリジナルっぽい、こちらの李牧の策略の元ネタは戦国時代の九州の戦国大名、大友義統(おおともよしむね)の部将、志賀親次(しがちかつぐ)が島津氏に仕掛けた策略です。

志賀親次は、九州大友氏に仕えていた北志賀氏の人間でした。

戦国末期に凋落した大友氏は、勢いを増してきた島津氏の侵攻を受けます。

この時、志賀親次の父も祖父も島津氏に寝返っていましたが、親次はキリシタンであり島津氏がキリシタンを認めていない事に不安を覚え

敢えて、父や祖父に反して信仰を守る為に戦いました。

 

1585年、島津義久(しまづよしひさ)は弟の島津家久(しまづいえひさ)義弘(よしひろ)の軍勢を二手に分けて大友領に攻めこみます。

この中で志賀親次を攻めたのは戦国屈指の名将と名高い島津義弘、2万の大軍で親次の本拠地である岡城を包囲しました。

これに対して、親次は稲葉川と白滝川に挟まれた標高325メートルの難攻不落の岡城を守りつつ、十二存在する支城と絶えず連絡を取りながら

神出鬼没のゲリラ戦術で島津軍に奇襲を掛け翻弄します。

 

そんな岡城の支城の一つに駄原城(だばるじょう)という小さな砦がありました。

ここを守っていた部将の朝倉一玄(あさくらいちげん)は、攻めて来た島津軍の板瀬豊前守(いたせぶぜんのかみ)に対しわざと砦を焼いて兵を率いて退却します。

それを見た敵の豊前守は「しめた敵は火事を起こして城を放棄したに違いない」と勘違いし大喜びで駄原城に入りました。

 

ところが、この駄原城は急ごしらえの全くのハリボテ、防御力はゼロに等しくおまけに火災で建物は何もないので、

兵は屋根もない所で野営するしかありません。少しも安らげない場所で島津兵は駐屯を余儀なくされたのです。

やがて、朝倉一玄が岡城から1500の援軍を得て奪還にくると、島津軍は上手く守る事が出来ずに大敗し板瀬豊前守も討ち取られるのです。

 

まさしく李牧があえて防御力をゼロにした列尾城を秦軍にわざと取らせた計略に酷似していますよね。

列尾の戦いは、駄原城の戦いが元ネタなのでした。

 

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キングダム592話ネタバレ雑学 王翦が九城の住民を鄴に追いやる計略

 

鄴攻めにおける王翦の発動した計略と言えば、鄴城内の兵糧を減らす為に、周辺の九城を次々と攻略して、住民を敢えて鄴に逃げるように

仕向けた事でしょう。

これによって、鄴は多くの避難民を抱える事になり兵糧で優位に立っていた李牧は一時的に不利になりました。

しかし、よくよく兵糧を計算してみると、秦軍より全然多い事が分かり、結局、王翦の計略も中途半端に終わってしまいます。

※その後、実は避難民の中に王翦の伏兵十二名が紛れ込んでいて、鄴城の兵糧を焼き払うという力技で解決してしまいました。

 

このいかにも、王翦のオリジナルに見える計略も実は日本の戦国時代が元ネタです。

史記には王翦が九城を落とした事は書いてありますが、どのように落としたかは全く書いていないのです。

そこで、神(作者)は計略を日本の戦国時代に求めたのでしょう。

   

 

キングダム592話ネタバレ雑学 秀吉の鳥取渇え殺し

餓えた農民(水滸伝)

 

王翦の九城追い出しの元ネタは、1581年4月、羽柴秀吉(はしばひでよし)が行った鳥取城(とっとりじょう)(かつ)え殺しです。

この鳥取城は険しい山の上にある天然の要害で、しかも猛将、吉川経家(きっかわつねいえ)が守っていました。

普通に攻めたのでは、時間のロスと損害が大きくなると考えた秀吉は兵糧攻めに転じ、まず、因幡に入ってくる米を高値で買い占め

鳥取城の兵糧備蓄が出来ないようにします。

それから、鳥取城下で徹底した焦土戦を行い、田畑と家を失った領民2000人が鳥取城に逃げ込むように仕組んだのです。

 

すでに鳥取城には、1400人の守備兵がいたのに、そこに2000人も領民が入り鳥取城の食糧事情は急激に悪化します。

秀吉の軍勢は、こうして鳥取城を包囲し敵の食糧輸送を悉く妨害したので、籠城から20日もすると鳥取城は深刻な食糧不足に悩み

最後には、お互いに食い合うほどに食糧事情が悪化しました。

 

あまりの惨状に吉川経家は自分の命と引き換えに全将兵を助ける事を条件に自決これでようやく凄惨な包囲戦には幕が下ろされます。

ですので、鳥取城の渇え殺しは日本の戦国時代でも指折りの悲惨な戦いとされています。

 

当時の民衆は戦乱に巻き込まれると城内に逃げるのが常識でしたが、秀吉は明らかに兵糧を食いつぶす主体として領民を利用しているので、

こちらの鳥取城の渇え殺しが、王翦の九城追い落としの元ネタと断言して間違いないと思います。

 

キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言

 

いかがだったでしょうか?

日本と中国では時代も城の形状も、戦い方も違いますがいずれも人間のする事なのでこと計略に関しては共通して使用できる部分も多くあるようです。

羽柴秀吉にしても、よく水攻めを多用するのは、ひんぱんに水攻めが記録される中国の史記からヒントを得てかららしいので、

確かに転用できる戦術や計略は、少なくなく存在したと言えそうです。

 

前回記事:キングダム592話ネタバレ予想「信、羌瘣、王賁、亜花錦を大胆予測」

 

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