織田信長は明智光秀の謀反により倒れる前、かなり広大な領土を持っていました。広大な領土を持っていた織田信長の食事はかなり美味しいものばかりを揃えていたはずです。
そこで今回は美味しいものばかり食べている織田信長の好物を探ってみたいと思います。
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織田信長はどのような味付けが好きだったの??
織田信長の好物を紹介する前に彼の味覚について話してみたいと思います。織田信長はどのような味付けが好みだったのでしょうか。
織田信長はしょっぱい味付けの料理が好きでした。彼のしょっぱい物好きを伝えるエピソードが残っているので紹介したいと思います。
三好家の料理人へ料理を作らせるが・・・・。
織田信長は足利義昭を擁立して京都を占領。織田信長はこの時、京都にいた三好家の料理人を捕虜にします。
織田信長は三好家の料理人が京都で一番美味しい料理を作れることを知り、この料理人へ「俺に料理を作れ。美味しかったら俺が召抱えてやる」と命令を与えます。
すると料理人は「分かりました」と信長の命令を受けて、腕を振るって織田信長のために美味しい料理を作ります。
織田信長は料理ができると早速食べますが「全然美味しくねーじゃん。」と行って激怒し、家来に三好家の料理人を殺害するように命令。
もう一度チャンスを与える
三好家の料理人は「もう一度私にチャンスをください。」と織田信長へ懇願。織田信長は三好家の料理人を許し、もう一度だけ料理を作らせるチャンスを与えます。
三好家の料理人は再び織田信長へ腕を振るって作った料理を持ってきます。
織田信長は三好家の料理人が作った料理を頬張ると「めちゃくちゃうまい!!よし!!汝を召抱えてやろう」と大絶賛して三好家の料理人を召抱えるのでした。
さて同じ料理人が作った料理なのにどうして織田信長は違う味を感じたのでしょうか。
京都の味付けと尾張の味付けの違い
織田信長に許されて召抱えられた三好家の料理人。
彼は知り合いの友人から「どうして一度目の料理を殿様へ提供したとき、激怒されて殺害されそうになったのに、二度目に料理を殿様へ提供したときは許されたんだい」と質問されます。
すると料理人は「一度目は京都風の味付けで、うす味で上品な味付けにしたのさ。京都風の味付けが殿様には美味しくなかったから激怒したのだろう。だから二回目に料理を提供したときはコッテコテの濃い味付けにして料理を提供したのさ。尾張や美濃の料理はかなり濃い目の味付けにしてあると聞いたことがあったからその風習に従ったのさ。
すると殿様は尾張風の濃い味付けの料理だったから気に入って許してくれたんじゃないかな」と説明します。織田信長は京都風の薄味ではなく田舎風のちょっと濃い目の味付けが好きな人物だったことが伺えるエピソードを紹介しました。
そしてここから分かることは、織田信長は濃い目の味付けをしてある料理が好きで、焼き味噌などが好物だったそうです。
戦国史ライター黒田レンの独り言
織田信長は濃い目の味付けの料理・焼き味噌が好きでしたが、それ以外にも好物と言える料理があったのでしょうか。織田信長は焼き味噌以外の好物は湯漬けです。
湯漬けはお湯をご飯にかけるだけでサラサラと食べることができ、せっかちな織田信長にピッタリな好物と言えるのではないでしょうか。また織田信長が食していた湯漬けはたまに濃い味の焼き味噌などを入れて食べていたそうです。
また織田信長はパンも好きでした。キリスト教の宣教師が織田信長にパンを献上すると早速食しかなり気に入ったのでしょう。堺や大阪に人を派遣して取り寄せるほど好きになってドはまりしたそうです。
このように濃い味付けの食べ物や新しいものを好物としていた織田信長でした。
■参考文献 織田信長 天下布武の足跡など
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