諸葛亮孔明が登場する前の、劉備の軍師、徐庶。彼の見せ場は、なんといっても、新野の地で行われた、曹仁との対決。
ここで徐庶は、相手の陣形が「八門金鎖の陣」であることを見抜き、その弱点を突くよう趙雲の部隊に具体的な指示を出し、劉備軍を圧勝に導きます。
現代風に言えば、敵のフォーメーションを確認し、「理論的に」それを崩す方法を、趙雲に教えたわけです。
ここでの徐庶の動き方、PCをベンチに持ち込んで指導するデータ重視の野球監督とか、コンピュータールームで相手の布陣を衛星写真から分析しているハリウッド映画のハイテク重視派の将軍、みたいです。格好いい!
なお、このとき、曹仁の軍は2万5千。その八門金鎖の陣形を寸断するために、徐庶が投入したのは、趙雲率いる500人の部隊。50倍の軍勢を切り崩し潰走させるという、とても効率的な戦績!
「でも、50倍の戦力差の逆転劇などというのは、三国志演義の脚色でしょう?あくまで物語の中の話でしょう?」と、思う方も、多いかもしれません。そこで、現実の世界史上の戦争で、50倍の敵に挑んで逆転した事例というものがあるかどうか、調べてみました!
もしそれがあるのだとすれば、徐庶が見せてくれた、「よい参謀がいれば、50倍の兵力差すらも覆せる」ということが、絵空事でもなく、現実世界でも言える、となるのではないでしょうか?では早速!
この記事の目次
泗川の戦いにおける、島津家7,000人対数万人の軍勢
こんな戦例は、いかがでしょう?豊臣秀吉の朝鮮出兵で、鬼の働きをしたのが、薩摩の島津家。
数え方には諸説ありますが、明・朝鮮の数万の連合軍をわずか7,000の兵で撃退した快挙として、知られております。
日本の戦国大名の事例に、このような圧倒的な戦力差からの逆転事例が、ちゃんとあったのですね!・・・え?相手の兵力が「数万」と曖昧では、凄みが、よく、わからない?少なくとも、徐庶の事例、「50倍」のインパクトには、ほど遠い?仕方がないですね、それでは、記録がしっかりと残っている、もっと近代の事例から、探してみましょう。
日露戦争、黒溝台会戦における日本軍8,000対十万人の軍勢
黒溝台会戦は、ロシア軍十万人が、津波のように攻めてきたところを、日本軍の前線8,000人が、なんとかもちこたえてしまった戦いです。40kmにわたる長大な防衛ラインを死守し、援軍の到着まで引き下がらなかったこの緒戦の奮闘は、日本軍の勝利におおいに貢献しました。
すでに気球や機関銃も登場していた近代戦の事例で、こんな戦力差をなんとかしてしまったケースが、ちゃんとあったのですね。え?10倍以上という戦力差は凄いが、まだまだ50倍にはほど遠いですって?仕方がないですね、それでは、これならば、いかがでしょう?
ロンゲワラの戦い。120人で3,000人(プラス戦車45台)を撃破!
これでも、まだ50倍には足りません。しかし、これなら、もう、文句はないでしょう!だって、大事なのは、カッコ書きの中の、「プラス戦車45台」のところですから。これで文句があるという人は、もはや、血も涙もない!歩兵120人で、戦車45台を含めた大部隊に挑んだのは、第三次印パ戦争におけるインド陸軍。
状況としては、国境を警備していた120人の歩兵が、パキスタン軍の攻撃にさらされ、空軍が到着するまでの一夜をどう持ちこたえようかと思案した結果、意表をついて逆に夜襲を仕掛けることにした、というケース。虚をつかれたパキスタン軍は大混乱に陥り、そうしているうちに朝がきて、空軍の到着でいっきに形勢は決まってしまったという次第でした。
この事例のすごいところは、1971年に起こった話、ということ。古代でも中世でも、近世ですらなく、現代戦と言っていい近い過去から、こんな戦例を拾えるとは!
もし現代戦で徐庶の活躍があったとしたら、これくらいのインパクトで見えることでしょう。趙雲を投入して戦車部隊をも撃破する徐庶!
三国志ライター YASHIROの独り言
それにしても・・・。現代戦に威勢よくまとめてみたつもりでしたが、なんでしょう、この胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちは?
泗川の戦い、黒溝台合戦、ロンゲワラの戦いと、時代を下ってくるにつれて内容もちゃんと派手なものを紹介できたはずなのに。やはり、最後の事例、ロンゲワラの戦いが、1971年と近い過去であることが、どこか「楽しくなれない」後味の悪さを残すようです。現地のインドやパキスタンには、この戦争をリアルタイムで知っている方々もたくさんいるであろう年代ですし。
考えてみれば、『三国志演義』がこんなに楽しい読み物なのは、遠い古代の話である上に、脚色がされすぎていて、もはや荒唐無稽の域に達しているおかげでも、あるのではないでしょうか?適度な脚色で、適度に荒唐無稽。
それゆえ、私たちは、戦争だらけの物語であるにもかかわらず、安んじて三国志を楽しむことができるのです。だって、三国志を舞台に、「現場の兵士の苦悩を描く」とか、「戦死した武将の遺族の肖像」とか、なまなましい描写があっても、いやでしょう?冷静に数えてみると壮大な死者数が出ているはずの物語が、こんなに楽しいのは、「適度なフィクション」というのがとても大切なポイントなのだな、と改めて思った次第でした。
総括。やはり、平和がいちばん!というわけで、適度にフィクションが混じった三国志の物語を、今宵もゆったり、楽しむことに致しましょう。
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