敵に塩を送るって言葉を皆さんはご存知でしょうか。この言葉の意味は「敵が弱っている所を付け込まず、弱っている敵を助ける事」だそうです。この言葉の由来は上杉謙信が武田信玄へ塩を送った事からこの言葉が出来たそうです。
しかし戦国時代の大名が弱っている敵を助ける事なんてあったのでしょうか。今回はこの敵に塩を送るを実際に行われていたのかどうか紹介したいと思います。
「敵に塩を送る 実際」
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敵に塩を送るの語源は!?
「敵に塩を送る」の語源はいったい何でしょうか。
それは戦国時代の上杉謙信が武田信玄へ「塩を送った事」が由来になっています。
武田信玄は今川義元・北条氏康と同盟を締結。
その後武田信玄は今川義元が織田信長によって討ち取られた事を知り、今川家との同盟を一方的に破棄してしまいます。今川義元の跡を継いだ今川氏真は激怒し、同盟者・北条氏康と連携して、武田家へ塩を流すことをやめてしまいます。
武田信玄は今川・北条の政策によって、武田家に塩が入ってこなくなるとチョー困ってしまいます。武田家の窮状を救ったのは越後の龍こと上杉謙信です。上杉謙信は武田家が今川家と北条家から塩が入ってこない事を知ると武田家へ塩をプレゼント。
この結果、武田家は上杉家から塩をプレゼントしてもらったことで窮状を脱出するのでした。これが後の「敵に塩を送る」の語源の由来になります。でも本当に上杉謙信は武田信玄へ塩を送っていたのでしょうか。
上杉謙信と武田信玄は戦国時代の宿敵として知られ、川中島の戦いでは何度も激闘を繰り広げている間柄でした。そんな宿敵・武田信玄を上杉謙信が助ける事なんてあったのでしょうか。
実際に敵に塩を送った記述はあるが…
上杉謙信が武田信玄へ塩を送ったと記載されている書物があるのでしょうか。調べてみるとしっかりと残っています。その書物は「謙信公御年譜」という書物です。
この書物によると上杉謙信は「信玄と争うのは戦だけで、塩などの輸入を止めて苦しめるのは違う」と言ったとの記載があります。この記載から上杉謙信が武田信玄へ塩を送った事に間違えなさそうです。
めでたしめでたし…で終わりません。
上杉謙信の事が書かれている「謙信公御年譜」という書物は信ぴょう性に欠ける書物で、あんまり信用がおけないそうです。そのためこの上杉謙信が武田信玄へ塩を送った記載も間違いである可能性が高いと考えられています。
じゃあ上杉謙信は武田信玄へ塩を送っていないのでしょうか。
塩を送ってないけど販売していた!?
上記で上杉謙信は武田信玄へ塩を送っていない可能性が高いと紹介しました。
しかし上杉謙信は今川家や北条家に協力して、武田家へ塩の流通を止めることをしないで、武田家へ塩の流通を継続しています。ここから分かることは上杉謙信が無償で武田家へ塩を送っていたわけではなく、ビジネスとして武田家に塩を売っていた可能性が一番高いと思います。
今川家や北条家が武田家へ塩を販売しなくなれば、上杉家だけが武田家へ塩を販売する事になります。そして上杉家は武田家に塩を販売し、大量に買ってもらえれば、大きな利益になります。
また武田家としては今川・北条両家から塩が入らない状況を打開するため、上杉家から塩を買い入れることで窮状から脱出することができます。こうして両者の思惑が合致した結果、上杉家は武田家へ塩を大量に販売。
武田家は上杉家から塩を買って窮状を打開したと考えるのが自然ではないでしょうか。
戦国史ライター黒田レンの独り言
今回は「敵に塩を送る」が実際に行われていたのかどうか紹介しました。
いくら上杉謙信が義の武将だからと言って、無償で武田家へ塩を送るような優しい事をせず、武田家へ塩を販売していたと考える方が妥当ではないでしょうか。しかし武田信玄は上杉家から塩を買い入れることが出来て凄く感謝していたそうです。
武田信玄が上杉謙信に感謝していた証左として、上杉謙信へ高い刀を一振り送っています。武田信玄は上杉家から塩の流通が止められなかったことがよっぽど嬉しかった事が伺えますね。
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