夷陵の戦いで孫呉軍を率いて大勝利を飾った陸遜。
劉備軍が陸遜に勝つ方法はいくつかのパターンを推測できますが、もし法正が生き残っていたら夷陵の戦いに勝つことが出来たのか。今回は法正が夷陵の戦いまで生き残っていたらどうなっていたのかを想像してみたいと思います。
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郭嘉に比肩する才能!!
法正は劉備の益州攻略戦の時に配下へ加わります。その後法正は益州平定後、蜀郡太守と揚武将軍の位を与えられ、益州統治に必要な法律「蜀科」の制定に尽力。
更に法正は曹操が漢中を占領すると劉備へ「漢中を取るべし」とアドバイスを提案します。劉備は法正のアドバイスを採用し、漢中攻略戦へ出陣。法正も劉備に従って漢中攻略戦へ参加し、数々の策略を進言し、戦に貢献します。
曹操は法正の立案した作戦を知って感心したそうです。このように法正は戦術においてもすぐれた才能を発揮し、法律を制定する行政能力を持っていました。ちなみに正史三国志の作者・陳寿は「並外れた計画や術策の持ち主であった」と法正を紹介しています。
更に陳寿は「法正は魏の郭嘉もしくは程昱に匹敵する才能を持っていると言えるだろう」と高い評価を与えていました。
法正が大活躍していた頃の陸遜の実績は??
法正が漢中攻略戦や益州の行政に関して法律を作って実績をあげていました。では法正が活躍していた頃の陸遜はどのような実績を持っていたのでしょうか。
陸遜は異民族討伐戦で功績を挙げていますが、曹操軍や劉備軍などの精鋭部隊と戦った実績を持っていませんでした。
だが呂蒙は彼の秘めたる才能を認め、自分の死後彼を後継者とするべきですと孫権へ進言しています。このことから陸遜は中華の国家と戦った実績をもっていませんでしたが、名将・呂蒙に認められるほどの実力を持った人物で、劉備軍が侵攻してくると総大将として孫呉軍を率いていくことになります。
もし夷陵の戦いで法正がいたら!?
陸遜は荊州へ侵攻してきた劉備軍に対して、火計を用いて大勝利をおさめます。劉備が敗北した原因は戦術に優れた黄権のアドバイスや他者のアドバイスを採用せず、自分の経験に基づいて行動したせいだと考えられます。もちろん夷陵戦で劉備が負けた原因はほかにもありますが、大きな理由として挙げられる要因と言えるでしょう。
もし法正が生きて劉備と一緒に夷陵の戦いに参加していたら、法正が夷陵戦で負けた劉備の敗因を改善するアドバイスを提案し、劉備軍を勝利へ導く戦術の元で軍隊を進退させていたと思われます。
また法正は「術策に優れている」と陳寿が紹介している通り、陸遜の火計によって劉備軍を撃退する作戦を見破っていたかもしれません。法正は劉備軍の敗因の改善計画の提案と陸遜の秘策・火計を見破り、劉備軍を勝利へ導く作戦を立案したのではないかなと思います。
陸遜は新しい戦術を見つけられるの!?
対する陸遜ですが、火計を用いて劉備軍へ攻撃することを法正に見破られたらどうするのでしょうか。陸遜は劉備軍を撃退する方法が思い浮かばず、悩みに悩む事になると思います。
経験豊富な将軍達は陸遜が悩んでいる間、具体的な作戦案を示せず、陸遜に対して不平不満を漏らし、最悪なケースは陸遜に対する信用を失くしてしまう可能性もあるかもしれません。陸遜は諸将との信用を失ってしまった場合、劉備軍との戦いに注力できず、結果劉備軍に敗北してしまうかもしれません。
三国志ライター黒田レンの独り言
劉備亡き後、蜀の宰相として国家を運営した諸葛孔明。彼も法正の才能を認めていた一人で、夷陵の戦いで劉備軍が呉軍に敗北した事を知るとこのように漏らしたそうです。
諸葛孔明は「もし法正が生きていれば殿を説得して孫呉討伐をさせなかっただろう。また孫呉討伐が行われた場合でも法正が生きていれば、このように敗北する事もなかったはずだ」と述べています。
そのため今回紹介したように法正が生きていれば、夷陵の戦いで劉備軍が呉軍に勝利することも可能だったのではないでしょうか。
■参考文献 正史三国志呉書など
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