劉備の義弟・張飛。張飛は敵兵をばたばた打ち倒していく猛将として知っている方も多いと思います。しかし張飛は正史三国志と三国志演義では描かれ方が全く違った武将です。
今回紹介する長坂の戦いでの張飛も正史三国志と三国志演義だと全く違う武将として描かれているのです。一体どのように違っているのか紹介したいと思います。
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正史三国志だとどのように描かれているの??
魏の程昱は「一万人に匹敵する武将」と張飛を評価。張飛はこの評価通り長坂の戦いで大活躍をします。
正史三国志張飛伝によると劉備は曹操が荊州を制圧した際、曹操軍の追撃を恐れて逃亡。曹操は一昼夜劉備を追撃し、ついに長坂で劉備軍に追いつきます。劉備は曹操軍が追いついた事を知って、張飛へ20騎程与え殿を命令。
その後劉備は息子・阿斗や奥さんを捨てて真っ先に逃げていきます。張飛は河をつないでいた橋を切り落とし、曹操軍の軍勢がやって来ると目を怒らせ矛を抱えて、馬上から大声で「我は張益徳なり。我と共に死を決戦とする者はかかってこい!!」と大音声で威圧。
曹操軍は張飛の威圧に恐れをなして攻撃できませんでした。この結果、劉備が曹操軍の追撃から逃れる時間を稼ぎ、逃亡できたのだと記載されています。張飛が曹操軍へガンを飛ばして大声で怒鳴り散らした姿を目の当りにしたら、歴戦の兵士でもうかつに攻撃する事なんてできませんよね。
想像するだけでも恐ろしいと思います。このように張飛は大喝一声で曹操軍の追撃を止めてしまう猛将として正史三国志では描かれています。
知将・張飛として描かれる
三国志演義では長坂の戦いで活躍した張飛をどのように描いているのでしょうか。三国志演義も長坂の戦いが発生した起因は正史三国志とあまり変わりません。曹操軍が追撃から逃れるため逃亡した劉備軍に追いついた場所も長坂です。
そしてここからが正史三国志と三国志演義での違いが出てきます。三国志演義の張飛は劉備から殿を命令されると20騎の部下を背後の森へ潜ませます。この時張飛は部下の20騎が乗っている馬のしっぽへ木の枝を付けさせ、盛大な土ぼこりを挙げさせて大軍が伏兵として潜んでいるかのように擬態。
そして曹操軍が来襲してくると張飛は曹操軍へ「我こそは燕人・張飛ぞ!!いざ勝負!!」と大音声で叫びます。曹操軍は張飛のこの大音声と森の背後に挙がっている土ぼこりを見て、恐れをなして逃亡したと描かれています。
三国志演義の張飛は上記のように曹操軍へ伏兵がいるかのように擬態させる兵術を身に着けており、猛将一点張りの武将と呼べない知略を見せております。このように張飛は正史三国志と三国志演義で全然違う武将として描かれていました。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は正史三国志と三国志演義の二つの物語に描かれている長坂の戦いで活躍した張飛をピックアップして、紹介しました。三国志平話に描かれている長坂の戦いはもっと迫力があります。
張飛が長坂の戦いで曹操軍を防ぐ殿になるよう劉備から命令を受けます。張飛は曹操軍がやってくると雷鳴のような大声で大喝すると橋が真っ二つに割れてしまいます。曹操軍は張飛の一喝で橋が割れたところを目撃し、すぐに軍勢を退却。
こうして劉備軍は張飛の活躍によって無事に撤退することに成功しますが、もはや人間ではなく仙人か猛獣のように描かれており、人じゃなくなっているような気がします。しかし講談などでは大人気なシーンらしく、多くの民衆から喜ばれていたそうです。
三国志平話の張飛の活躍は民衆の娯楽向けにはいいかもしれません。けれども張飛は某漫画で気を高めて金髪に変身する人じゃないんだから、さすがにやりすぎじゃないかなと思うのはレンだけでしょうか。
■参考文献 ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書・張飛伝
岩波新書 諸葛孔明など
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