「歴史の陰に女性アリ」と言われるように、歴史には必ず女性、それも美女の存在は不可欠と言っても少し過言なくらいではないでしょうか?
まぁ美女が絡んでいるだけで物語は面白くなると思いますので、やはり後々まで残る話には美女は必須と言えるでしょう。
もちろんその理論は三国志にもしっかりと受け継がれ、特に三国志演義には多くの美女が出てきます。
今回は三国志に興味を持って頂くために、三国志と美女の関連のお話をいたしましょう。
関連記事:【呂布の娘】呂玲綺は貂蝉の娘なの?
歴史の陰に女性アリは三国時代でも同じ
歴史書でもある三国志はあくまで歴史が簡潔、かつ簡単にまとめられていますが、そこに注釈がされたことによっていくつかの女性の姿を窺い知ることができます。
多くの女性たちは名前こそ残ってはいませんが、未亡人が多いのはやはり戦乱の世の中だったのだな、とどこかもの悲しさも感じますね。
また美人の未亡人に手を出してしまったばかりに大失敗を招いた曹操の話などは有名で、そこから三国志演義によって脚色されて名前を付けられた人物なども多くいます。
その中でも三国志を良く知らない人でも名前を聞いたことがある美女、それはやはり「貂蝉」ではないでしょうか。
とくに有名な三国美女「貂蝉」
貂蝉は国を傾けるほどの美女の代名詞、楊貴妃と並べられ中国四大美女として有名です。三国志をモチーフにした漫画や小説でも美女として多くの作品に登場するので、名前だけなら知っている人も多いと思います。が、このことで、特に中国四大美女として名前が通ったことで勘違いしている人が多いのですが、貂蝉はあくまで架空の人物であって、実在の人物ではありません。
三国志演義のオリジナルキャラクターなのです。
さて三国志演義では貂蝉は王允という人物の養女で、美人であるだけでなく賢い女性です。
彼女は董卓と呂布の仲違いをさせ、董卓を呂布に討たせる作戦を成功させます。
その後は呂布の妾となって、彼女の出番はほぼ終わります。
「貂蝉」という人物はどこから生まれた?
さてオリジナルキャラクターともなればそれが生まれたモチーフのような人物がいることが多いですね。
貂蝉もそれに漏れず、モチーフとなった人物がいます。
正史とされる歴史書、三国志では「呂布が董卓の侍女と密通し、発覚をおそれて王允に相談した」「王允は董卓打倒を考えていたので董卓を討てと進言し呂布はそれを実行した」という一文があります。
つまり呂布は主に当たる人物である、しかもこの時の最大権力者である董卓の妾(のような)の女性と秘密の関係になっちゃっていたのです……これは一大スキャンダル、バレたら我が身も危ない危機的状況。
そこから王允にそそのかされてしまうのですが、この侍女をモチーフにして貂蝉が生まれたとされています。この一文を膨らませて貂蝉というキャラクターを作りだしたのは凄いですよね。
そんな貂蝉は呂布が曹操に処刑されると、貂蝉は呂布の家族とともに曹操の元へ送られてその後は出てきません。あくまで呂布と董卓の仲違いをさせるためのキャラクターなのです。
貂蝉の不思議すぎる伝承!
しかしこの貂蝉は架空とはいえ中国四大美女にされるほどのキャラクター、不思議なくらいに色々な民間伝承が残っています。
その最期も様々で、呂布が処刑された後に関羽の妻になったり、そうなる前に関羽によって成敗されて殺されてしまうなどの異説も残っています。面白いところではその出生ですね。三国志演義では王允の養女になっている貂蝉ですが、なんと人造人間だったという突飛な説も登場します。
これは神医とまで言われた華佗という人物が美女の死体を繋ぎ合わせて貂蝉という美女を作り、その作られた美女は董卓と呂布を仲違いさせた……というものですが、これは創作でしょう。
しかしそんな説が出てくるほど民間に浸透した貂蝉という三国志演義オリジナルキャラクター、というと、やはり貂蝉は美女の中でも別格な感じがしますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は三国志を代表する美女、そしてその中でもよく知られている貂蝉について紹介してみました。
特に三国志演義では意外と女性の登場シーンはいくつかあるので、こういった美女たちがどんな扱いを受けているのか見ていくと、当時の美女と呼ばれる女性の在り方なども見えてくると思います。
特に貂蝉による呂布、董卓の仲違い作戦シーンは三国志演義屈指の恋愛を政治戦争に絡めたドロドロのシーンですが、見ていてドキドキする場面でもあるので興味のある方はぜひ、三国志演義からお楽しみくださいね!
参考文献:魏書呂布臧洪伝