三国志において、正史三国志と三国志演義では性格の違う人物が多々出るのはもはやご愛敬。今回はそんな正史三国志と三国志演義で性格の違う武将の中から、魯粛をチョイスしてご紹介します。
三国志演義ではお人好しでどうにも諸葛亮の引き立て役感が否めない魯粛。だけど本当に魯粛はお人好しなのか?
三国志演義の魯粛しか知らない人たちに、魯粛の新しい魅力をお教えしたいと思います。
「魯粛 お人好し」
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三国志演義の魯粛のお人好しさ
まずは確認も踏まえまして三国志演義の魯粛を少々紹介。特に三国志演義の魯粛と言えば私が想像するのは横山三国志の魯粛。丸いお顔でやや小太り目、穏やかと言えばいいのかお人好しと言えばいいのか……頑張っているけれどどうにも諸葛亮の方が一枚上手で……というイメージでしょうか?
こちらの魯粛も中々に嫌いになれない、むしろ筆者的にはこの魯粛も結構好きなのですが……それでも、この魯粛のイメージからは想像できないのが正史三国志の魯粛なのです。そこで次からは正史での魯粛の行動と、そこから読み取れる魯粛の性格を紹介していきたいと思います。
魯粛はお人好しではない・・・むしろ野心家では!?
さて魯粛のお人好しではない、むしろ野心家で豪胆な人物像が分かる話を正史から。魯粛は孫権に気に入られたこともあって、当時、兄である孫策が死んだ直後で荒れている国をこれからどうしたらいいか、と相談します。
なんとそれに対する魯粛の答えは孫権にとっても周囲から見てもとても予想外の遥か斜め上をかっとぶようなものでした。
「漢復興はもう無理です。曹操と対決するのも無理です。荊州を手に入れて長江を掘として戦いましょう。そして皇帝を名乗って天下を手に入れましょう」
とんでもないです。当時、ほとんど権力は残ってなかったといえど、まだまだ漢王朝は存在しています。にも拘らず孫権に皇帝を後に名乗れというこの豪胆、いやむしろ野心を抱けというような性格は三国志演義の魯粛からはとても想像が付かないと思います。
こんなぶっ飛んだ意見を言われた孫権ですが、これ以降は魯粛を頼りにするようになったと言います。
呉蜀同盟の先見の明
さて魯粛の性格が分かるのがもう一つ、呉蜀同盟提案です。前述したように魯粛は孫権たちだけでは曹操は倒せないと踏んでいました。
そこで考えたのが同盟者の存在、劉備です。魯粛は孫権に対抗するために劉備にも力を付けさせ、二国で曹操に相対しようという作戦でした。
しかし当時の劉備は治める国すらないような存在。その劉備に力を付けさせてから、言い方は悪いですが利用しようとする計画。
これは長期的な計画であり、当時からしてもそのような考えを持てる人は中々いなかったでしょう。魯粛は先見の明があっただけでなく、そんな考えを出すことができる発想力を持っていた人物。決して諸葛亮にも劣らない、優秀な人物であったことが窺い知れます。
秘められた魯粛という人物の有能さと魅力
このように、一部を抜粋しただけでも魯粛の性格が三国志演義とはまるで違うことがお分かり頂けたでしょうか。実際に魯粛は発想が奇抜すぎる所はあったもののそれを含めても評価されていて、呉署でも「周瑜以後の世では魯粛が呉の代表者だった」と書かれているほどです。
そんな魯粛がどうして三国志演義では単なるお人好しのように描かれてしまったかというと、あくまで筆者の想像ですがやはり劉備という存在が大きいかと。魯粛の考えた呉蜀同盟は劉備に力を与えておいて、それを利用する作戦。
つまりそのまま載せてしまうと劉備たちは魯粛に上手いことやられてしまったことになります。また魯粛は志半ばで早逝、その後は対蜀への対応が変わったこともあって、魯粛の功績は三国志演義では敢えて注目されないようになってしまったのでは……と思っています。ですが正史三国志の魯粛の対蜀対策は豪胆、見事の一言。もっと正史の魯粛の魅力を知って欲しいですね。
三国志ライター センのひとりごと
魯粛に関しては特に横山三国志の、悪人ではないもののお人好しで損をしてしまうようなあの人物像が強いかと思います。あの魯粛も魯粛で中々好感が持てる人物だと思うのですが、そのイメージのまま三国志の魯粛をみると本当に同一人物の描き方か?と思うほどいい意味でショックを受けると思います。
ぜひ皆さん、三国志の豪胆魯粛を見て、魯粛推しになってみて下さいね!
参考文献:呉書魯粛伝
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