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松永久秀こそが先に「天下人」と呼ばれていた?温存していた「秘密兵器」を展開する前に倒れた「信長のライバル」久秀の実像に迫る

2020年3月31日


 

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松永久秀

 

戦国時代は「下克上(げこくじょう)の時代」などと言われますが、松永久秀(まつながひさひで)こそ、この時代を代表する人物としてふさわしいのではないでしょうか。出自(しゅつじ)のわからないところから突然現れ、京都奈良の政界でどんどん知名度を上げ、織田信長(おだのぶなが)に協力しておきながら、その信長すらをも何度も裏切り、手こずらせた人物です。

 

天下布武を唱える織田信長

 

この松永久秀(まつなが ひさひで
)
、織田信長を中心とした小説やドラマでは「やられ役」として扱われがちです。しかし信長が登場する前の時代では、彼こそが「天下人(てんがびと)」というあだ名で呼ばれていたことをご存知でしょうか?

馬に乗って戦う若き織田信長

 

しかも松永久秀は、最期は信長に追いつめられて自害してしまうものの、「隠し持っていた対信長の秘密兵器」をまだいくつか温存していたようなのです!もう少し長く生きていたら、もっと恐ろしい「信長のライバル」になれた人物なのではないでしょうか!

 

さて、その秘密兵器とは!?

 
 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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松永久秀こそが「下克上」の代表にふさわしい!何もかも異例づくしの生涯

同年小録(書物・書類)

 

まずは信長に出会う前の彼の経歴ですが、この時代の数々のオオモノたちの中にあっても、とにかく異例づくしの人物であることがわかります。たとえば、

上杉謙信

 

長尾景虎(うえすぎ けんしん
)
は上杉姓を名乗ったり、北条早雲(ほうじょう そううん
)
も北条姓にこだわったり、斎藤道三(さいとう どうさん)美濃(みの)の名門「斎藤家」の姓をもらったりと、「下克上(げこくじょう)」を成し遂げたとされる戦国大名ですら、自分の出自を由緒(ゆいしょ)ある家名に結びつけたがる傾向が強かった。出自の怪しい階級から現れたのに、名家の家名踏襲(かめいとうしゅう)という流行にまったく興味を持たなかった松永久秀は異色!

足利義輝

 

・三好家の家臣でありながら、朝廷から官位をもらい、またいっぽうで足利義輝(あしかが よしてる
)
からは室町幕府の位も与えられていた。朝廷と室町幕府と戦国大名(三好家)のミツマタに同時に仕えていたという器用さは、あまりに異色!

 

・彼が建造した多聞山城(たもんやまじょう)は、ヨーロッパ風の尖塔(せんとう)などを持つ斬新なデザインであり、ほうぼうからわざわざ見物客が訪れるほどの評判になった。城を実戦の為ではなく、権威を示すデザイン重視で建造したセンスは、織田信長をも先取りしており、異色!

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

・足利義輝の名前を使って、地方の領土問題に介入し、たとえば大友家と毛利家を戦わせるなど、全国の戦国大名を手玉に取っていた。自分と直接利害関係がない中国地方や九州地方の情勢にまで視野に入れて、ライバルが登場しないよう潰し合いをさせていたというスケールのデカさは、信長や秀吉を先取りしており、異色!

 

松永久秀は当時の文書では「天下人」とあだ名されていた!

周りに恐れられていた松永久秀

 

そんな松永久秀ですが、当時の武将たちの手紙では、しばしば「天下人」と呼ばれていたそうです。

「今は松永弾正(まつながだんじょう)が天下人だから、彼に相談するのがよかろう」というような感じです。

 

口を出してくる松永久秀

 

どちらかといえばイヤミや(ねた)みを含んだ言い方かもしれませんが、前述(ぜんじゅつ)した通り、将軍家や朝廷の権威を借りて地方の大名の動向にも口を出してくる松永久秀は、よほどの「時の人」として恐れられていたようです。

 

豊臣秀吉を信頼する織田信長

 

考えてみれば、織田信長や豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が「全国統一」というスケールの大きな目標を掲げる前の時代の常識では、「京都で将軍や天皇を意のままに操る立場になること」こそが、「天下をとった」と言ってもいい最高の出世と考えられていたはず。松永久秀は、信長や秀吉の登場前の常識では、じゅうぶんに「天下をとった男」と見られていたのかもしれません。

 

松永久秀の手元にはまだまだ「秘密兵器」が残されていた!

資金が豊富な織田信長

 

皮肉なことに、その松永久秀自身が、時代の革命児である織田信長を京都に迎え入れる役割を担うことになります。久秀にとっては信長も、いずれ使い捨てのきく、コマのひとつにしか見えていなかったのかもしれません。

 

信長を裏切る松永久秀

 

ところがこの信長が、松永久秀以上のスケールの大野心家であったため、さしもの久秀もしだいに形勢が悪くなりました。

 

爆死する松永久秀

 

結果として久秀は信貴山城(しぎさんじょう)に追いつめられて自害します。

 

「それでも信長を何度も裏切って手こずらせたのだから、たいしたものだ」という評価もありますが、実はあれでいて、松永久秀はその才能をすべて出し尽くしていたわけではないかもしれません。

 

というのも、松永久秀の生前の行動を見ると、以下のような「陰謀の種」のカード、いわば「対信長の秘密兵器」を、まだまだ手元に温存していたらしいのです!

悪い顔をする斎藤道三

 

・いわゆるマムシの道三は、美濃国から名門の土岐一味(ときいちみ)を追い出して下克上をしたことで有名。だが、その道三に追い出された土岐一族を温かく迎え入れ、家臣団に加えて大事に育てていたのは、松永久秀(信長の拠点は美濃ですから、いつかそこで扇動作戦を起こすために温存していた?)

 

・かの柳生一族に早くから目をつけ、柳生宗厳(やぎゅう むねよし)をしばしば城に招いて親交を深めていたのも松永久秀(人材発掘に余念がなかった?)

足利義昭

 

・十五代将軍の足利義昭(あしかが よしあき
)
をとても丁重に保護して恩を売っていたのは松永久秀(十三代将軍義輝の暗殺事件に、松永久秀も黒幕としてかかわっていたはずなので、実にしらじらしい態度ではありますが)

 

・なにを思いついたのか、『太平記(たいへいき
)
』の英雄、楠木正成(くすのき まさしげ
)
の子孫を名乗る人物を「発見」し、楠木姓を名乗らせた上で家臣団に加えて育てていた(南朝びいきの多い奈良や和歌山の人気を地盤として確実にするため?)

 

まとめ:もう少し長生きしていれば、さらに手ごわい信長のライバルになっていた?

茶釜にほおずりする松永久秀

 

こうしてみると松永久秀というのは、「節操のない裏切り者」どころか、将来使い道のありそうな人材に手厚く恩を売り、周囲を固めておくリーダーの器量も存分にあったようです。

 

敵将の頭蓋骨を盃がわりにして酒を飲む織田信長

 

残念ながら、織田信長というモンスターに出会ってしまったために、せっかくのこれらのカードをすべて出し切れないままに彼は滅びました。もう少し長生きしていたら、さらにあと二回か三回、信長をピンチに追い込む大陰謀を放っていたかもしれません。

 

戦国時代ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

あれだけ華々しく暴れまわっておいて、「まだ全力を出し切っていない」感を我々に与えるとは、どれだけ(ふところ)の深い陰謀家だったのかと、ゾッとします!

 

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織田信長スペシャル

 

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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