呂蒙と同時期に最期を迎えた蒋欽とは何者?

2020年3月31日


 

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関羽の呪いで殺される呂蒙

 

建安24年(219年)に関羽(かんう)を討伐した呉(222年~280年)の将軍の呂蒙(りょもう)ですが、帰国から間もなくして、この世を去りました。

 

蒋欽

 

この呂蒙と同時期に亡くなった将軍に蒋欽(しょうきん
)
という人物がいました。彼の存在は太史慈(たいしじ)周瑜(しゅうゆ)周泰(しゅうたい
)
などのメジャーな将軍の陰に隠れてしまうので、どうしても忘れてしまいがちです。

 

蒋欽とはどんな人物でしょうか?

今回は正史『三国志』をもとに呉のマイナー将軍の1人である蒋欽について紹介します。

 

自称・皇帝
当記事は、
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫策に仕える蒋欽

イケメン孫策と袁術

 

蒋欽の詳しい経歴は分かっていませんが、孫策(そんさく)袁術(えんじゅつ)のもとに身を寄せていた時期に配下になったようです。時期は初平2年(191年)から興平2年(195年)と考えられます。『三国志演義』では周泰と一緒に水賊をしていましたが、孫策が挙兵すると聞いて駆け付けたという設定になっています。勝手に犯罪者にされて可哀そう・・・・・・

 

残念なことに孫策時代の活躍は大雑把にしか記されていません。江東(こうとう)平定の時に別部司馬(別動隊隊長)になって3つの郡を平定。その後は統治に専念します。

 

孫権は蒋欽にも学問をすすめていた!?

勉強する呂蒙

 

正史『三国志』に注を付けた裴松之(はいしょうし)が採用した『江表伝(こうひょうでん)』という史料には、孫権が呂蒙に学問をすすめたことで彼は非常に勉強熱心になり秀才にまでなった逸話が記されています。この逸話は『三国志』呂蒙伝に掲載されていることや、話が呂蒙視点で進むことから孫権が学問をすすめたのは呂蒙だけと思われがちです。

 

同年小録(書物・書類)

 

しかし『江表伝』をしっかり読み直すと、孫権は呂蒙だけではなく蒋欽にも学問をすすめていたことが記されています。また、話の結末で孫権は、「ちゃんとした大人になってからも積極的に自己の向上心を目指す、そうした点では呂蒙と蒋欽に及ぶ者はいない」と言っていました。蒋欽も呂蒙と一緒で文武両道の人物になることに成功した人物だったのです。

 

徐盛を推薦する

反乱討伐に出陣する蒋欽

 

蒋欽が反乱討伐に出陣している間に、徐盛は蒋欽の部下を捕縛して死罪にすることを孫権に進言しました。蒋欽の部下がなぜ捕縛されたのか正史は何も語っていませんが、推測を広げるならば窃盗・殺人・賄賂などでしょう。孫権は蒋欽が留守であることから、上記の件を不問にしました。この一件以降、徐盛は蒋欽からの報復を恐れるようになります。時は流れて建安22年(217年)に孫権と曹操は濡須口で戦闘になりました。この時の呉軍の司令官は呂蒙と蒋欽です。

 

徐盛(じょせい)呉の将軍

 

蒋欽のもとに配属されていた徐盛は復讐されることを恐れて、ビクビクしていました。ところが、蒋欽は徐盛のことを良い点ばかりを孫権に報告していました。それを聞いた孫権は不思議に感じており蒋欽に尋ねます。

 

「徐盛はかつて、あなたのことを悪く言ったのに、なぜかあなたは徐盛を称賛する。祁奚(きけい)のマネか?」

 

祁奚は春秋時代の人物であり退職の際に後任に自分と仲が悪かった人物を推薦した人物。つまり人柄より、実力を重視したのです。蒋欽は孫権の問いに対して、「私は公の推薦には私怨を交えぬと聞いています。徐盛は真心をもって務めており、見通しもあり、実務能力の備えており、1万の兵を指揮するにふさわしい人物です・・・・・・どうして私怨に引かれて有能な人材を隠れたままにしましょうか?」と答えました。

 

孫権は蒋欽の答えに、ものすごく喜びました。

 

三国志ライター 晃の独り言 蒋欽ライザップ疑惑!?

三国志ライター 晃

 

このように公私をわきまえた蒋欽でしたが、建安24年(219年)の関羽討伐を終了させてか帰国する途中に亡くなりました。享年不明です。蒋欽は横山光輝『三国志』では初登場時と再登場時では全く顔が違います。初登場時はメタボの盗賊顔、15年後の再登場時はやせており、ダンディーなおじさまになっています。結果にコミットしたのですね(笑)

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。蒋欽ファンの人はコメントをください。

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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