【麒麟がくる】明智光秀と松永久秀には共通点があり過ぎた


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明智光秀(麒麟がくる)

2020年のNHK大河ドラマ麒麟がくるの主人公、明智光秀(あけちみつひで)。そんな光秀の人生に大きな影響を与える存在なのが、吉田鋼太郎演じる三好家の重臣、松永久秀(まつながひさひで)です。実はこの二人、赤の他人にも関わらず、その境遇が驚くほど似ていたのです。

 

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共通点1:名もない国衆から大抜擢された

明智光秀

 

明智光秀は美濃の名門土岐氏(ときし)の支流明智氏の出身とされていますが、実際には光秀の時代には没落していました。そこで光秀は苦労して足利義昭(あしかがよしあき)の足軽衆になり、その後、義昭を信長に引き合わせるのに功績を立て、織田家でも召し抱えられ幕臣と織田家に両属する形で出世していく事になります。

 

 

一方の松永久秀は、永正五年、摂津国の東五百住(ひがしよすみ)村の土豪(どごう)の出身で父母の名前も分かりません。その後久秀は、天文九年(1540年)三十三歳以前に三好長慶(みよしちょうけい)の奉行になって、領地安堵の判物に副状(そえじょう)を出す発給人に名を連ねています。

 

織田信長

 

久秀の主君である三好長慶は、父の時代に多くの譜代の家臣を失った関係で摂津の新興勢力から人材を抜擢しており、光秀の主君である織田信長も、尾張統一の過程で織田一族を討伐した経緯から、外から人材を招くのに熱心でした。久秀も光秀も、似たような境遇の主君を選んだとも言えるでしょう。


共通点2:行政官としても軍人としても有能

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

明智光秀と松永久秀は、いずれも行政官としてキャリアをスタートさせます。松永久秀が三好長慶の奉行として所領安堵の判物に副状を出していた事はすでに書きましたが、光秀も織田信長が足利義昭を奉じて京都に入ると、京都支配の担当者として、村井貞勝(むらいざだかつ)木下秀吉(きのしたひでよし)丹羽長秀(にわながひで)中川重政(なかがわしげまさ)と連携しつつ、行政文書を発給する奉行として活躍しています。

合戦シーン(戦国時代の戦)

 

しかし、二人は行政官として有能なだけではなく、実際に軍勢を率いる事もありました。松永久秀は、天文十一年に三好軍の指揮官として、木沢長政(きざわながまさ)を討伐。

 

襲撃計画を立て悪い顔をしている細川晴元

 

なおも不穏な動きをする大和国人の残党を討伐するため、山城南部に在陣したり、永禄元年(1558年)5月には、足利義輝(あしかがよしてる)細川晴元(ほそかわはるもと)が近江国から進軍して京都郊外の東山を(うかがった)ったのに対応し久秀は吉祥院に布陣。弟の松永長頼(まつながながより)三好長逸(みよしながやす)伊勢貞孝(いせさだたか)、公家の高倉永相(たかくらながすけ)と共に洛中に突入し威嚇行動(いかくこうどう)を行ってから足利義輝・細川晴元と交戦しています。

 

明智光秀は鉄砲の名人 麒麟がくる

 

一方の明智光秀も、信長に仕えて間もない永禄十二年(1569年)一月、織田信長が一時京都を離れた隙を突いて本圀寺に攻めてきた三好三人衆を、鉄砲を効率的に使った戦法で防ぎ、足利義昭を守り通しています。それを皮切りに、浅井朝倉攻め、延暦寺焼き討ち、丹波攻略、そして、松永久秀を討つ事になる信貴山城の戦いなど、無数の実戦を経験して多くで勝利しています。

 

【信長を討った明智光秀の波乱の生涯】
麒麟がくる


共通点3:文化人として著名

お茶を楽しむ明智光秀

 

明智光秀は、連歌師、里村紹巴(さとむらじょうは)、茶人津田宗及(つだそうきゅう)と交流があり、連歌、茶の湯、料理等に造詣が深く、本拠地の近江坂本城で大茶会を開いて巷の話題をさらうばかりか、天守閣を持つ坂本城は、安土城に次ぐ名城と称えられるなど築城技術にも見るべきものがありました。

 

松永久秀

 

一方の松永久秀も土豪の出ながら、京近畿で活動する必要に迫られ、豪商で茶人でもある武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事し、古天明平蜘蛛(こてんめいひらぐも)九十九髪茄子(つくもかみなす)、その他名物茶器を多数保持し、当時茶人としての位置づけは高かったのです。

 

そして、久秀も築城家としても有能で、多聞山城(たもんやまじょう)は、当時公家屋敷や寺院にしか使っていなかった礎石と石垣を使用し、壁は分厚い土壁、瓦屋根を()いた恒久的に使える建築物が軒を連ね、内装にも絵師に絵を描かせ、茶室を完備して宝物を蓄えるなど、中世期の臨時の住処だった城の概念を破壊した豪華なものでした。

茶釜にほおずりする松永久秀

 

このように光秀と久秀は文化人としても高い教養を身に着けており、ただ戦に強いだけではないセレブな戦国大名として知名度を得ています。


共通点4:主君を裏切り最期を迎える

燃える本能寺

 

松永久秀と明智光秀は主君を裏切ったという点でも共通点があります。明智光秀は、あまりにも有名な本能寺の変で、主君織田信長に謀反して討ち果たし、僅か十三日の天下を実現した後に、羽柴秀吉に山崎の合戦で討たれ滅び去ります。

 

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

謀反の背景には、光秀が苦労して獲得した近江坂本や丹波の領地を信長が簡単に国替えしてしまった事や光秀が持っていた四国の外交チャンネルである長宗我部(ちょうそかべ)氏とのパイプを信長が見限り、羽柴秀吉が持つ三好氏のパイプに切り替えた点が考えられます。

 

宴会好きな豊臣秀吉

 

一方の松永久秀は、主君である三好長慶の死後、息子の三好義継を支えますが、やがて三好三人衆と対立するようになり、その頃、足利義昭を奉じて上洛した織田信長が三好三人衆と対立した事から名物と人質を差し出し信長に帰順します。

 

爆死する松永久秀

 

その後は、織田家の部将として活動しますが、信長が大和支配を久秀の宿敵である筒井順慶(つついじゅんけい)に任せた事から関係に亀裂が入り、久秀は二度も叛いた挙句に最後は信貴山城(しぎさんじょう)に籠城し、信長の降伏勧告を無視して城に火を掛けて自殺しました。光秀は信長を討つ事に成功し、久秀は失敗したという違いはありますが、光秀が元々は足利義昭を主君としていたのが、やがて信長に仕えたという点まで含めると、やはり両者の境遇はあまりにもよく似ています。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

何よりも二人に共通するのは、時代の要請に応じて、次々と知識をインプットし、同時に絶えずアウトプットする事により、元々持っていた能力を磨き、当代随一の人材として世間に認識されるようになった事でしょう。

 

信長を裏切る松永久秀

 

そして、人一倍努力しているだけに、自分の為してきた事への執着も強く、それを簡単に崩してしまおうとする共通の主君、織田信長の非情な措置に耐える事が出来なかったのかも知れません。これは、光秀と久秀の両者が最初から信長に仕えていたわけではなく、信長流に慣れていた羽柴秀吉や、柴田勝家、丹羽長秀のように割り切る事が出来なかった事も関係しているかと思います。

 

参考文献:歴史REAL 明智光秀 光秀とは何者なのか?ここまでわかった「天下の謀反人」の実像

参考文献:松永久秀と下克上 室町時代の身分秩序を覆す

 

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