李牧の救援も間に合わず陥落してしまった鄴、民衆思いだった鄴の城主、趙季伯は落城の罪の意識に耐えられず、わざわざ宮殿の屋根に上って投身自殺してしまいました。死者に鞭打つわけではありませんが、ハッキリ言って趙季伯さんは甘すぎたと言えます。
あれだけの住民がいるなら、もっと耐えられた事でしょうに・・そんなわけで今回は、中国史上のハードな籠城戦を紹介しましょう。
この記事の目次
墓を暴いて棺桶で武器を造った郝昭
郝昭とはキングダムの時代から400年後の三国志の時代の将軍です。有名な諸葛孔明が郝昭が籠城する陳倉城を攻撃した時の事、郝昭は目一杯抵抗したのですが、狭い城内では武器を造る機材がすぐに底を尽きました。そこで、郝昭は城内に葬られた先人の墓を暴いてその棺桶を取り出し、これを使って武器を造って諸葛孔明に対処しました。
奮戦の甲斐があり、孔明を撃退できた郝昭ですが、内心では忸怩たるものがあり、息子に「俺は将軍などというなるべきでない職に就いた。しばしば死者の塚を暴き木材を武器にしたから死者に手厚い埋葬など無意味な事を知っている。俺の葬儀は簡単でいい、場所にも拘らないから都合の良い場所に葬れ」と遺言しています。
史実には、死人の骨を薪代わりにしたというようなものまであり、籠城戦では使えるモノは何でも使うのが基本です。その心意気があれば、もう少し頑張れたでしょう。
部下に兵糧泥棒の罪を着せる曹操
三国志の英雄、曹操はある時、賊を討伐する途中で兵糧が不足した事がありました。そこで曹操は食糧担当官に対策を尋ねると、「枡を小さくして数量を誤魔化す」と答えます。曹操はナイスアイデアと採用しますが、まもなく軍中で曹操が兵士達を騙していると噂が立ちます。
困った曹操は担当官に「すまんが死んでくれ、兵士をなだめたい」といって斬首します。担当官は縛り首にされ、曹操は「食糧担当官が小さな枡を使って兵糧を盗んだので斬った」と宣言したので兵士の不満は一時和らぎました。エグイですが、どこかに適当な犯人をでっち上げてストレスを発散させるのも城内の住民の不満の解消法です。
【次のページに続きます】