今回は蜀滅亡シリーズという筆者が勝手に読んでいる不穏なシリーズの一つとして、呉を語りたいと思います。呉の国というよりは呉という国との関係ですね。筆者としては蜀滅亡のスタートはこの呉との不和から始まっていると思います。今回はこの点についてお話していきたいと思います。
呉との不和
呉と蜀の不和は三国志でも三国志演義でも、水面下からじわじわと広がっていっていきます。最初こそ一滴の黒い液体、それが透明な水をどんどん黒くしていくかのように広がっていくのです。縁談での婚姻関係などで何度もそれを透明に戻そうとしても戻ることはありません。透明に近付いたとしてもその水はもう透明ではなく、どこかに薄っすらと黒が見えるのです。
関羽の尊大な振る舞い
もともと荊州の統治を巡って呉と蜀、というよりも関羽と孫権の仲は良いとは言えませんでした。それが爆発したのが孫権と関羽の子供による縁談話の際に関羽が孫権を罵倒して断ってしまったこと。孫権は呉のトップであるので、蜀の一武将である関羽がこれを独断で断るのは良くありません。
本来ならば、例え断りたかったとしても劉備に伺いを立ててというできるだけ円満な断り方をしなければいけないのです。しかし関羽の悪い癖でもある上の立場の人間に尊大という悪癖が出てしまったのか、既に拗れに拗れていたのかここから関羽と孫権の仲は最悪になります。
荊州という土地
荊州という土地は蜀にとって重要です。なぜなら蜀は山に囲まれた土地。守るには適していますが大軍を率いて出陣していくには向いていません。そこで荊州という扉のような、アクセスが良い土地が重要になるのです。かといってどさくさ紛れに奪い取ったような土地、孫呉としては面白くない訳ですね。
魏と呉とそして蜀
ここで重要になるのが三国の関係です。魏は既に強大すぎます。蜀だけで、呉だけでは対抗できない国になっているのです。そこで蜀と呉は仲良くして魏に当たらなければならないのですね。しかしそんな中で不和が広がってしまっているのは……致命的な訳です。
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