羊祜(ようこ)は三国時代末期の人物です。正義感にあふれ、無欲な人物です。また無益な争いを好まない人物で、民衆を大切にする思いやりのある政治を起こない、自国の領民から尊敬されていた人物です。それって名将じゃなく政治家っていうのではとお思いですが、そうではなく、呉の名将であり彼の親友であった陸抗(りくこう)がなくなるとすぐに呉を攻略すべく皇帝に進言を行います。パッとしない三国時代末期に現れた晋の名将羊祜について紹介していきたいと思います。
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背が高く顔もカッコいい羊祜
羊祜の身長は170㎝以上です。青年期は顔立ちも良く、眉毛が凛々しく、体格はがっちりして、美少年です。また論議や弁舌に優れていた知性も備えておりました。女性にもてそうな羊祜ですが、実は男性からも非常に人気です。
郭弈(かくえき)にも評価されてた羊祜
羊祜は晋の首都洛陽に帰還する途中に近くの県に寄りました。その際、県境まで来ると従者に命じ、県令を迎えに行かせます。当時、県令であった郭弈は従者と共に羊祜の元に出かけました。郭弈(かくえき)は帰ってきて「あいつは俺に劣らぬ人物である」と呟きます。その後、再び羊祜の元に遊びに行き、家に帰ってくるなり郭弈は「俺より優れた人物だ」と周りに語ります。羊祜は晋の首都洛陽に旅立つ日がやってきます。郭弈は羊祜を数日にわたって見送り続けます。晋の方には県令は県外に出てはならない法律が設定しているのですが、郭弈は見事にそれを破って、県から数百里離れた場所まで見送るのです。もちろん法律を無視した郭弈は県令をクビになります。ですが郭弈は後悔せず「羊祜は顔回(孔子の弟子)にも劣らない才覚と徳を持っている」と褒め称えました。このようにイケメンで才覚のある羊祜は実績を積んで行きます。
民衆に優しい政治を行う
羊祜は、長年の功績から荊州の襄陽太守に任命されます。この地は呉の最前線に当たる場所で、非常に重要な都市です。この地を任された羊祜はまず、呉と争う事を止めて民衆に優しい政治を行います。しかし初めは思うように行きませんでした。
呉の民衆からも慕われた羊祜
原因は襄陽が呉との国境近くにある都市で、常に緊迫した状態が続き、いつ呉と戦争が起きてもおかしくないからです。しかし、年月が経ち呉との戦いが激減し、羊祜の政治に思いやりを感じた民衆は次第に彼を羊公と慕うのです。また国境であった、呉の民衆からも慕われ、羊祜の領地に移動する民衆も多くいたそうです。さらに呉の将軍からも信頼を得ており、羊祜を頼って晋に降伏する武将が頻発していたそうです。三国志終盤の武将達の中で、敵と味方から信頼を得るほどの徳の高い人物は羊祜ただ一人と言っても過言ではありません。
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