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羊陸の交わり
羊祜は、呉の名将陸抗(りくこう)と友情関係を築きました。この関係性を築くことができたのは羊祜の徳の深さが関係しております。ある日、陸抗から「現在、私は病にかかり薬を探している。何かいい薬をもっていたら頂けないだろうか」と羊祜宛てに手紙が届きます。
羊祜はすぐさま使者に薬を持たせて陸抗に届けさせます。届いた薬を見た諸将は「毒薬かもしれないのでやめなさい」と注意します。しかし陸抗は届いた薬をすべて飲み干し、次第に病は快方に向かいました。病が治った陸抗は、返礼に秘蔵の酒を羊祜に届けさせます。晋の諸将は陸抗から届いた酒を見て「総司令、毒が入っている可能性があるのでやめてください」と諫言されますが、羊祜も無視して一気に飲み干します。この事がきっかけで詩を読みあい、酒を互いに送り親交を深めていきます。この二人の親交の深さを後世の歴史家は羊陸の交わりと褒め称えます。
呉の討伐を主張する羊祜
呉の名将陸抗が亡くなると羊祜は今までの交戦嫌いな一面を捨て、呉の討伐を主張します。呉の討伐ため、まず益州の軍勢に水軍の訓練をさせます。次に襄陽でも厳しい訓練が行い兵士の装備を充実させます。羊祜は訓練が順調に進んでいることを確認した後、晋の皇帝司馬炎(しばえん)に呉討伐の上表を何度も繰り返し提出します。司馬炎は度々送られてくる羊祜の書状に納得し、呉討伐の出陣を決意します。
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司馬炎の側近は呉の討伐に反対
しかし司馬炎の側近は呉の討伐に反対します。さらに重臣である賈充も反対意見に賛成したため、司馬炎は出陣の中止を羊祜に命じます。出陣見送りの報を聞いた羊祜は「優柔不断で天が与えたチャンスを受けなければ、二度とめぐってはこない。後になって今の好機を逃したと後悔しても遅いのだ」と一人寂しく語ったそうです。その後、病に倒れた羊祜は、後任に杜預を指名した後、亡くなります。
三国志ライター黒田廉の独り言
羊祜が亡くなった襄陽の民は、羊祜が峴山によく登っていたことを思い出します。この山に「羊公碑」を建立します。羊公碑に刻まれた銘文を読んだものは必ず涙すると言われており、この地に来た杜預は「堕涙碑」と改名したそうです。三国志終盤においてこれほど内外から慕われた将軍は羊祜だけではないでしょうか。皆さまお楽しみいただけましたでしょうか。今日の物語はここまで。またどこかで行われる三国志話会でお会いしましょう。