キングダム645話では、悼襄王の末っ子公子遷が遺言による後継者として登場していました。しかし乗っけから全裸にした男女を家畜のように率いて、その背中に座るというサイバーBLUEの元老ガザのような登場シーンから、すでに狂気と退廃の臭い以外はしません。李牧や公子嘉は、こんなバカ王を受け入れるのでしょうか?
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キングダムネタバレ考察「李牧は全て受け入れる」
誰がどう見ても、ろくな政治をしそうにない公子遷ですが、kawausoの予想では、それでも李牧も公子嘉も受け入れるしかないと思います。大きな理由は、それが悼襄王の遺言だからで遺言に叛く事はそのまま反逆になってしまうからです。
李牧は、王個人に仕えているのではなく、趙という国に仕えているのであって、王がバカだからとか気に入らないからという理由でそれを排除しようとする事はありません。李牧は忠臣であり、部下が悼襄王をクソだのバカだの言う事は止めなくても、自身はそんな事を口にした事はありませんでした。
そして、これは公子嘉も同じであり、耳を食いちぎるような父王でも王である限り、逆らったり倒したりしようとは考えていません。だからこそ、悼襄王が死んだ後に、瞬く間に混乱を収拾する才能がありながら、長い期間父王の暴政に黙って耐えていたのです。
キングダムネタバレ考察「徳化という儒教思想」
李牧も公子嘉も、ひとまずは幽繆王の即位を受け入れて、そこから人間としてあまりにアレな幽繆王の性格を諫言する事で直していこうと考えるでしょう。つまり、公子遷はまだ歳若く、賢臣が教え導く事で軌道修正できる筈だし、それが出来てこそ賢臣と呼べるのではないかという事です。
大の大人の男女を全裸にして家畜のように四つん這いで歩かせ、その背中にのって悦に浸るような遷には、もう全て手遅れのように感じるんですが、これも中国古来の徳化という儒教思想に関係しているのです。
キングダムネタバレ考察「理想的な天子舜の人生」
実は、徳化という事については古代からテンプレ化した理想の帝王が存在します。それが五帝の1人である堯帝から帝位を禅譲された舜という人物でした。
舜は神話上の人物で、早くに母を亡くし継母とその連れ子と実父と暮らしていました。しかし、この実父というのが悪どい男で、財産を連れ子に相続する為に舜を邪険にし、隙あらば瞬を殺そうと常々狙っていたのです。
普通なら、こんな頭オカシイ父と同居しようとはしない筈で、どこかに逃げてしまっても非難はされないでしょう。ところが、舜は寛大にも自分を殺そうとする父に対しても親孝行を尽くしました。もちろん、継母にも連れ子に対しても実の母、実の兄弟のように接したので、世間は天晴な孝行息子として舜を讃えます。
この評判が当時の帝である堯にも届き、堯は舜の人格を見極めようと、娥皇と女英という娘を舜に娶らせました。すると、二人の娘も舜に徳化されて非常に篤実な性格になり、また舜の周りには自然と人が集まり3年で都会になるほどでした。
にもかかわらず、舜の父と継母と連れ子は相変わらず舜を殺そうとします。ある時は、舜に屋根の修理をさせて下で火を焚いて焼き殺そうとしますが、舜は二つの傘を使いメリーポピンズのように逃れました。
また、ある時には井戸掘りをさせられている時に、上から土を被せられ生き埋めにされそうになりますが、横穴を掘って逃げています。明らかに、己に殺意を見せる身内ですが、それでも舜は少しも疎まず、親孝行や兄弟孝行を尽くしたそうです。
明らかに度が過ぎている寛容さですが、結局、堯帝は瞬に帝王の位を譲りました。それは、舜に悪党を改心させる徳の力があると考えたからです。
キングダムネタバレ考察「幽繆王が改心しないのは家臣のせい」
徳の力というのは儒教の教えの柱であり、最初に自分の人格を磨いて立派な人間になる事が出来れば、その良い影響を周囲に及ぼしていけると説いています。古めかしい言葉で言うと修身と言い、戦後には道徳という言葉で知られました。
この方向で行くと、幽繆王をバカだからという理由で強引に隠居させるのは論外で、周囲の群臣が立派な行いをする事で、幽繆王に良い影響を及ぼして名君にしていくのが儒教のスタンダードという事になります。
逆に言うと、いつまでも幽繆王の素行が改まらないのは、それを教え導く群臣が無能だからという事にもなるのです。王であっても法には従わないといけない秦とは根本的な部分が違うんですね。
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