三国志演義の始まり、ではないですが、物語の始まりを予感させる一幕として「桃園の誓い」があると思います。劉備、関羽、張飛、三人の英傑が集まって誓いを立てるあのシーンは、見ていてグッとくるものがありますね。
しかしこれはあくまで三国志演義のワンシーンであって、実際の三国志にはこの桃園の誓いの誓いはない……いやいや、ちゃんと桃園の誓いの誓いはあった?
今回はこの義兄弟の誓い、桃園の誓いとは?について色々と話させて頂こうと思います。
この記事の目次
桃園の誓いとは?
まず三国志演義の桃園の誓いについて、軽くご説明しましょう。三国志演義の序盤の方で、劉備、関羽、張飛の三人が出合います。三人は桃の花が咲き誇る園、桃園で宴会をし、そこで義兄弟となる誓いを結びます。
この時に誓った有名な言葉が「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」であり、生まれた日こそ違えども、叶うならば同じ日に死のうという誓いです。
桃園の誓いは実際にはなかった?
さてこの桃園の誓い、劉備が主役である話ならだいたいお目にかかれます。もしくはこのシーンから始まることも多いですね。また三国志演義の元となったと言われる三国志平話に同じようなエピソードがあり、ここでこの誓いを張飛は「桃園結義」と呼んでいました。しかしこの桃園の誓いは、正史には記述がありません。
では桃園の誓いは本当になかったのか?
それはそうとも言い切れないのです。
正史三国志を紐解く
ここで正史三国志を見ていくと、いくつかの記述が目に付きます。
「劉備の寝室に関羽や張飛は入ることが許されていた」……本来、目上の者の寝室に入れることはそれほど信頼されていた証であり、三人はただの上司と部下ではなかったのでしょう。
また、関羽の死後に魏で「関羽がやられたんだから、劉備は必ず報復にやってくる」という予想がされており、このことから少なくとも劉備と関羽は君主と臣下を越えた絆があったことが魏でも知れ渡っているほどのことが分かります。このように桃園の誓いこそなかったとはいえ、劉備、関羽、張飛はかなり当時としても特別な間柄だったのでは?と予想しています。
桃園の誓いの狙いとは?
しかし前提として史実、正史三国志には桃園の誓いはありません。劉備たち三兄弟が親密な関係だったとしても、桃園の誓いは存在しないのです。
ではなぜ三国志演義では桃園の誓いがあるのでしょう。筆者はこの桃園の誓いが、ただのワンシーンだけでなく、物語としてもとても重要で秀逸なシーンであると思っています。そしてこの桃園の誓いは、後々にまで関わってくる重要な場面だとも思うのです。
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