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この記事の目次
史実アレンジ
前述したように、桃園の誓い自体がなくとも、劉備たち三兄弟が通常の主君と臣下以上に親密であったということは、正史三国志の数々の記述から読み取れます。また正史の記載からでも、この三兄弟は短い期間の間に後を追うように亡くなっていきました。
そう「願わくば同じ日に死ぬこと」は、全く同じではなくともある意味で達成されたとも言えます。
つまり最初に桃園の誓いがあるからこそ、三兄弟の最期が感動的に感じるのです。どこまで羅貫中が意図したかは分かりませんが、正史の記述からこの桃園の誓いをアレンジしたのは見事の一言でしょう。
導入としての桃園の誓い
そして多くの場合、この桃園の誓いは最初のシーンとして持ってこられます。これは特に劉備が主人公の物語では定番とも言えますね。それはこの桃園の誓いが、物語の導入として秀逸なものであるからだと思うのです。
三人の男たち、未だ天下には名は知られず。そんな彼らが出会って義兄弟の契りを固く結んで乱世へと入っていく……これからどうなるかを知っていても、とてもワクワクする導入場面ですよね。
桃園の誓いの「輝き」
筆者はこの桃園の誓いがあったとしても、なかったとしても、とても好きなシーンの一つと言うことができます。まるで運命のように導かれ、出会った三人が「天下に何か名を残そう」と誓って旅立っていく。
これから長い苦難が待っていて、激動の時代を生きていく。その中で離れ離れになることもあるけれど、その信義と絆は変わらなかった。最期の最後にまでその誓いが、まるで輝きのように現れてくる。正史の記述にあるかないか、それさえもどうでもいいと感じてしまうような、そんなきらめきのある逸話だと思います。
三国志ライター センのひとりごと
ある日、本当に偶然出会った三人。その三人が「死ぬ日まで共に」と誓うなんていきなりすぎて、ある意味で時代錯誤さえ感じる一幕です。それでもなお、桃園の誓いは感動する一幕なのです。この場面があったからこそ三国志演義は輝いている、筆者は常々そう思っています。
参考文献:
蜀書先主伝 関羽伝
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