島原の乱の責任を負わされた松倉勝家は悪人?それとも貧乏クジを引かされた?


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

馬に粘土を載せて運ぶ人(幕末時代)

 

基本的には平和が続いた江戸時代の初期に、日本史上でも空前の反乱がおこりました。いわゆる「島原の乱(しまばらのらん
)
」です。一般には、暴政を敷きキリスト教徒を迫害していた松倉勝家(まつくら かついえ
)
に対して、耐えかねたキリスト教徒たちが反乱に踏み切ったものと言われています。

 

同年小録(書物・書類)

 

反乱の原因となった松倉勝家の暴政というのは、

・みえを張って石高を高めに報告しており、その会計の穴を埋めるために住民に重税をかけていた

・年貢を払えない者の妻や子供を水責めにして催促するという非道なことをやっていた

などといったもの。

 

まるで時代劇の「悪大名」そのままのイメージに見えますし、これだけひどいことをやっていたのなら反乱も起こるだろう、と納得もする話です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



江戸時代を通じて「斬首刑」を食らった唯一の大名?

 

この松倉勝家という人物は、哀しい「記録」保持者でもあります。島原の乱の鎮圧後、彼は幕府から責任を追及されるのですが、下った処罰は、なんと斬首。一般に、江戸時代を通じて大名が斬首にされた例はこの一件のみ、とされています。

 

普通、大名に死罪が下される場合、本人の名誉のために最低でも形だけは「切腹」となるのは、時代劇や歴史小説でもよく描かれている通り。ところが松倉勝家に対しては斬首という処分です。幕府がどれだけこの反乱の責任を重視し、松倉勝家に特別過酷な扱いをしたか、よくわかります。

 

松倉勝家の言い分:ただの反乱ではなく戦国最後の合戦だったのだ!

合戦シーン(戦国時代の戦)

 

ですが松倉勝家にも言い分はありました。江戸幕府から「あれほどの一揆の原因をつくったとはナニゴトか」と責任を追及されたとき、勝家の反論は、「あれはただの百姓たちの一揆などではなかった。プロフェッショナルの軍人も反乱軍の中にいた。もっと深刻な、権力への挑戦だったのだ」といったものでした。

 

 

たしかに、最近の研究(神田千里著『島原の乱(中公新書)』)によると、この反乱で頭領にかつぎあげられた天草四郎時貞(あまくさしろうときさだ)の周りを囲んだ幹部級の反乱リーダーには、「かつての有馬家の牢人たちが多かった」とのことです。

 

有馬晴信

 

旧有馬家の牢人ということは、かのキリシタン大名、有馬晴信(ありま はるのぶ
)
の家臣たちではないかと推測できます。重税に苦しんだ農民たちの反乱などではなく、

 

「いまいちど天下に一旗をあげん」とする牢人たちが結集して画策した、大阪の陣にも匹敵するような「牢人たちの幕府体制に対する挑戦だった」というのが、勝家の言い分というところでしょうか。

 

しかし幕府は聞く耳を持たず、松倉勝家の責任を厳しく追及し、斬首という判断を下しました。もしかしたら松倉勝家は、

「自分の領土を治められない奴はこうなるのだ」と、幕府に見せしめとして斬首にされたのでしょうか?

 

実はやらなくてもよかった?江戸時代初期におけるキリスト教徒迫害の裏事情

水滸伝って何? 書類や本

 

ですが前掲の『島原の乱』(中公新書)には、さらにオドロキの研究結果も含まれています。松倉勝家の父、松倉重政の時代の前半には、実はキリスト教徒への弾圧はあまり過酷なものではなかった、というのです。実際、松倉重政は、タテマエでは幕府の命令に従ってキリスト教徒弾圧を掲げつつ、少なくともその前半生のうちには、わざと宣教師を生きたまま国外脱出させたり、キリスト教側にもかなり寛大な、バランスの取れた処遇をしていた、とされています。

 

セミナリオ(教会)

 

どうやら松倉重政に限らず、キリスト教徒への弾圧が激しくなるのはむしろ島原の乱以降であって、それまでの大名は幕府のキリスト教禁教令には従いつつも、

「あまりやりすぎない程度に締め付ける」というバランス感覚を示していたようです。

 

ところが松倉勝家の場合は、

「年貢を払えない者の妻子を水牢に入れる拷問をやっていたという点も含めて、暴政はどうやら事実」と言われています。

 

キリスト教を弾圧していたとされてきた多くの大名が、「実は裏ではキリスト教徒たちをあまり追いつめすぎないように気も遣っていた」という新説が出てきている中で、松倉勝家だけは「ひどい弾圧をしていたのは事実」とされている事態。これはかなり松倉勝家には不利な話ではないでしょうか?

 

そもそも反乱側に有馬家の旧臣がいたのは有馬晴信の人望の勝利?

細川ガラシャ

 

もうひとつ、最近の研究からは、松倉勝家にとって不利な話が出てきています。島原の乱に参加したキリスト教徒たちの多くは、一度はキリスト教を棄教した人たちだった、という説です。

 

「キリスト教は禁教である!」とお上に命令されて、

「仕方ない」とスナオに棄教した人たちが、わざわざキリスト教に再入信して反乱を起こしたのは、どういうことなのでしょうか。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
YASHIRO

YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

-戦国時代 (日本)
-,