歴史において、数々の民族が出てくるのは最早お約束。そして中国の歴史を語るとなると、北方に住む遊牧民族の存在は避けては通れないと言っても過言ではありません。
匈奴とは中国歴史上「初めて」出てきたの民族です。今回はこの匈奴について解説しながら、三国志との繋がりもご説明していきたいと思います。
匈奴とは?
匈奴とは北方民族であり、遊牧民の一族です。さて「匈奴とは中国歴史上初めて出てきた民族」と前述しました。いきなり覆してしまうようで申し訳ないのですが、この匈奴が出てくる前にも異民族は存在していました。しかし純粋な騎馬遊牧民は匈奴が初めてであり、彼らは何度も中国に侵入してきては時に和睦、時に戦いと歴史を刻んでいったのです。
匈奴はどんな人たち?
そんな匈奴がどこからやってきたのか、どんな人々に縁者を持つのかは定かではありません。歴史資料を見ると匈奴の名が初めて見られるのが前318年です。匈奴は韓・魏・趙・燕・斉の五カ国と連合して、秦を攻撃したとされています。
しかし前述したように匈奴というのは「騎馬遊牧民」です。この騎馬兵は戦車、歩兵が主だった当時の軍隊に比べてスピードと柔軟性で優れていました。これは常日頃から馬に慣れ親しんでいたであろう、騎馬遊牧民のアドバンテージだったとも言えるでしょう。
万里の長城、築かれる
さてそんな戦国時代を終えたのが秦の始皇帝。この始皇帝、とある仙人から「秦を亡ぼすのは匈奴である」という予言をされ、彼らの侵入を防ぐために作られたのが万里の長城です。
しかし当時の万里の長城は今の物とは違い、あくまで騎馬が乗り越えられない程度の土塁であったと言われています。ただこの万里の長城作成は非常に大変で、人々が秦から来たに逃亡するというちょっと本末転倒な事態も発生しました。
再び・・・
後に始皇帝が崩御、世は再び乱れます。
後に天下を手に入れたのがかの劉邦、彼は漢王朝を立てました。
この際に劉邦は匈奴と一大決戦に臨むも驚きの大敗北、そして漢帝室のプリンセスを妻として差し出す、毎年貢物を差し出す、皇帝と兄弟関係を結ばせられる、という何とも屈辱めいた外交関係を結ばざるをえなかったのです。
それ以後は武帝らの動きもあり、一進一退の関係を続けるものの匈奴は内部分裂。三国志の時代には曹操によって五部に分割されることとなります。
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