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三国志の匈奴
そんな匈奴は異民族として三国志にも出てきます。有名なところで言うと魏の蔡文姫、彼女を一時期妻としていた左賢王劉豹、そしてその息子である劉淵がかなり重要人物として出てきますね。そしてこの名前に違和感を持った人もいることでしょう。劉豹の代から部族名を捨て、劉姓を名乗っていたのです。
そしてこの劉淵、洛陽で育った匈奴のプリンスがかなりどでかいことを成し遂げます。そう、彼は「初めて中華に異民族が皇帝の王朝を打ち立てた」人物なのです。
天は匈奴を見捨てなかった!
劉淵は匈奴のプリンスですが、その生涯は洛陽で過ごしたものです。なので異民族でありながら漢民族の文化や政治に精通しており、自らを「太祖劉邦の義兄弟の後裔」であるとし、国号を「漢」と定めるなど、かなり漢の形式に精通、悪く言えば良く利用していることが伺えます。
因みに劉禅にも「孝懐皇帝」と諡号していますね。そんな劉淵は気前が良く、労わり深い人物で人気があり、五部の匈奴の内でも満場一致でリーダーと認められるだけでなく「天が匈奴を見捨てているならば劉淵のような英雄が生まれることはなかった」とまで言われる好漢でした。
そんな劉淵がまさかの!
さてそんな劉淵、面白い話があります。三国志演義の下敷きとなったとも言われる、三国志平話。なんとここで劉淵は劉禅の実子という設定で出てきて、関羽や張飛の子孫たちと共に晋を討ち果たして見事に漢室復興!というナイス展開というかすごい発想というか……とにかくそんな設定で登場します。
ただこれを見るとやはり劉関張の三兄弟は民間で人気があり、そのイメージが色濃く反映されているのだなぁ……と思えて、桃園結義と合わせてしみじみとせずにはいられなくなりますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は匈奴について、かなりざっくりとですがご紹介させて頂きました。匈奴は三国志だけでなく、その前の時代から深く関わってきた民族です。そしてその中でも劉淵は三国志平話に出てくる存在であり、当時としてもかなり認知されていた人だったのでしょう。三国志だけだとどうしても他の武将に目を奪われがちですが、こう言った異民族たちにも長い歴史と面白い背景があるのは興味深いですね。
参考文献:漢書匈奴伝 後漢書南匈奴列伝
史記秦本紀 秦始皇本紀、高祖本紀 匈奴列伝
晋書劉元海載記 三国志平話
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