大人気春秋戦国時代漫画キングダム、秦の蒙武がいきなり楚の満羽や千斗雲と激突している所ですが、ここでもkawausoは、リアルキングダム雑学として、本当の秦の時代に迫っていきますよ。
今回は、秦に支配された土地は、本当はどうなるかについて解説してみましょう。
この記事の目次
キングダム651話雑学「最初にやったのは城壁のぶち壊し」
敵地を征服した秦軍がやった事、それは城壁のぶち壊しでした。
当時は戦乱の世なので、都市が城壁で覆われているのが当たり前なんですが、土地を占領した秦はまず城壁をぶち壊します。
これにより、仮に占領地で反乱が起きても、城内に立て籠もるのが不可能になるからです。
しかし、すべての占領地の城壁を破壊したわけではありません。異民族や敵と接した都市の城壁はそのまま残していました。
それと、関中周辺の都市も咸陽に近いので、城壁をそのまま維持していた事が分かっています。
キングダム651話雑学「遷陵縣の戸数」
ここからは、実際に秦が始皇25年、紀元前222年に遷陵縣を置いた元、楚の一県について見てみましょう。
遷陵縣には、都郷、啓陵郷、貮春郷という3つの郷が置かれ、人口はそれぞれ54戸、22戸、76戸で全体では152世帯あります。
人口で考えると1000人を少し超える程度の小さな県と言えるでしょう。
ただしこれは、この辺の全ての人口というわけではなく、土地の秦の役人が把握している人口という事です。
実際は、楚の周辺はこの時代もそれ以後も異民族だらけでした。
キングダム651話雑学「遷陵縣の人口構成」
しかし、遷陵縣の人口が全て、楚人かと言うとそうではありません。
キングダムでもお馴染みの秦の領内民族大移動というものがあり、秦は新しい領地が早く秦に馴染むように別の土地から、強制的に秦の人民を連れてきて住まわせていました。
それも半端な移動距離ではなく、元々は斉に住んでいた人民まで、強制動員で連れて来たケースがあった事が木簡から分かります。
あと1つの人口は、周辺の異民族で、なかには一戸で成人10人が住んでいるケースがあり、これは異民族の酋長に若者が率いられているケースではないかと考えられています。
秦は、異民族の習俗については無理やり変えず、税金も別の税を課す事で戸籍も別にしてすみ分けをしていたようです。
キングダム651話雑学「異常に多い役人の数」
遷陵縣は152戸の人口しかありませんが、一方で秦は、この県にどの程度の役人を置いていたのでしょうか?
それは店員で103名という膨大な数でした。実際には53名と半分以上が欠員しているものの、それ以外の秦の県では多くても40名しかいないので、とても多いという事が出来ます。
では、どうして、こんなに多いのか?
それは、遷陵縣で公共事業、食糧生産、牧畜、手工業の実施や金や鉄の採掘などに充てる為のようです。
そして、遷陵縣に派遣されている役人の多くは、すでに秦に支配されて長い、漢中や巴蜀の人間でした。占領地である遷陵縣に、秦の法律や行政に詳しい人がそういるわけもないので、彼らは単身赴任で家族を置いて、こんな僻地に飛ばされてきたのでした。
知識人階級で、庶民よりはよい暮らしをしている役人でも、遠くから移動させられる苦悩は同じだったんですね。
秦の僻地の役人不足は深刻で、病弱な人間や、不正をして普通ならクビになる役人まで僻地に飛ばして人数不足に対応していたようです。
不正役人はともかく病弱な役人を僻地に飛ばしたら、もっと具合が悪くなりそうですけどね・・
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