自らは手を汚さずに他人の力を借りて事を為すのは理想だし、それが合戦となると自分が戦わなくていいものだから、それにすがりたくなるのは人情だ。
しかし、敵の国力をちゃんと見ないと常に希望的観測は破れる。
正史三国志劉放伝が引く孫資別伝
当時、呉の人の彭綺(ほうき)がまた江南で義兵を起こした。
意見を述べる者はこれを利用して呉を討伐すれば勝利を得る事があるに違いないと主張した。
明帝が孫資に質問すると孫資は答えた。
「昔、鄱陽(はんよう)の豪族で、前後数回か義兵を挙げたものがありますが、計画は杜撰そのもので兵は弱く、
たちまちのうちに壊滅しました。昔文帝は、ひそかに呉の形勢を論じるに、洞蒲(どうほ)では1万人を殺し、
千から万の船を奪ったが数日のうちに船も人も集ってきた。
江陵では1月以上も包囲したのに、孫権は僅か、千数百人を東門に置いただけで、その土地は潰れる事がなかったと
これはかの地に法令があり、上も下もこれを守っている証拠です。
以上の点から推測しますと、彭綺は孫権の内臓を食い破る大病にはなりますまい」
それからしばらくすると彭綺は破れて滅亡した。
目に見える軍事力に比較して、法の力というものは目に見えない。
でも、法がしっかりしていて、何があっても国が救ってくれると人民が信じればこそ洞蒲で万人が死んで、多くの船が奪われても、人民はそこに流れ込み生活は再建される。
曹丕はそれを見抜いて、討伐は成功しないと気づいたんだな、慧眼(けいがん)だ。
呉を存続させたのは、立法を上下が守るという信頼感と連帯感であり、ただ水軍が強かったというだけではないんだな。
それが無かったら、例え100万の軍勢があっても1日で国は瓦解する。