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今日のkawauso39「お絵描き孫堅ちゃん」

2020年9月24日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし馬謖に地理を伝える諸葛亮孔明

 

言葉では伝わらない事も、図形や絵ならすんなり伝わるという事は誰でも経験があると思う。

それは何も現代だけではなく、三国志の時代もそうだった。

以下は、正史三国志/孫破虜討逆伝(孫堅

 

(孫堅は)陽人で合戦して董卓軍を大破し、その部督の華雄(かゆう)らを縛り首にした。

この時、ある者が孫堅と袁術の仲を裂いて袁術は孫堅を疑い兵糧を輸送しなかった。

陽人は魯陽から百余里もあったが、孫堅は夜を徹し馬で駆け袁術に面会を求めると、計校(計略)を地面に描いて

李傕、李カク、孫堅

 

「私は董卓とは骨肉の怨みはないが、その暴虐ぶりに武人として義憤を覚え、上は国家の為に賊を討ち、下は将軍の家門の私讐を慰める為に一命を投げうつ覚悟であった。しかし将軍はつまらぬ者の讒言を真に受けて私を疑うのか!」

袁術は恐縮し即座に兵糧を調発し孫堅は帰還した。

 

袁術と孫堅

 

ちなみに将軍の家門の私讐とは、袁紹が反董卓連合軍を起こした結果として長安の袁家一門が董卓に皆殺しにされた事を言っている。同じ事は呂布も袁術に言い、強請ネタにしていた。自分で仇討ちが出来ないのは負い目になるんだな。

この時、孫堅がどんな事を地面に描いたのか描写にはないが、董卓の似顔絵とか描いていたら楽しいな、しかし、お猿はだらしない…

 

前回記事:今日のkawauso38「張既のゴマすりテクニック」

 

英雄の墓

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき