「はじめての三国志」をよく読んでいる読者さんには、既に承知の事だと思うけど三国志演義の魯粛は、諸葛亮を引き立てるピエロになっている。ばかりか正史では、孔明の大論陣は周瑜がやった事、そして、孫権にわざと降伏を勧めて怒らせたのは、実は魯粛がやった事になっていて、孔明は影も形もない。
以下は、正史三国志魯粛伝に引く、漢晋春秋及び魏略
曹操が荊州を陥落させると孫権は内心大いに怖れた。魯粛は、本当は孫権に曹操への降伏を拒否させようと考えたが、若い孫権の負けん気を利用しようと考えて、敢えて降伏論を唱えた。
「かの曹操は強敵であります。新たに袁紹を倒して北方を征服し、兵馬は甚だしく精鋭揃いで、戦勝に乗じて滅びる定めの国を討つのであり勝利は必定です。将軍に置かれましては、兵を派遣して曹操の統一を助け、加えてご家族を鄴に人質に出すべきです。そうしなけれ危険ですよ」
孫権は内心の弱気を見透かされて激怒し、魯粛を斬ろうとした。魯粛はすかさず「事態は切迫しており、降伏せぬおつもりなら次の打開策を模索すべきです。劉備を救援せずに私を斬って、それが何になるのですか?」と答えた。孫権はこれを然りとし、周瑜を派遣して劉備を助けさせた。
三国志演義の孔明の孫権への挑発は、これが下敷きだと思われる。お人好しにされた上で手柄まで持ち去られる点で周瑜と似た扱いだ。