甲斐の虎、武田信玄、甲斐武田氏19代当主である彼は、甲斐一国22万石だった武田領を、信濃、西上野、東美濃、駿河、遠江、三河、飛騨へと拡大し130万石まで成長させました。
こんな事が出来たのは甲斐武田氏歴代で信玄1人であり、彼がいかに傑物であったかが分かります。しかし、そんな信玄には、実はヒャッハーだったのではないか疑惑があるのです。
※ヒャッハー:ネットスラングで、無法・無秩序の状況で欲望のままに振る舞うさま
この記事の目次
甲陽軍鑑の節々にあるヒャッハーの証拠
武田信玄と言えば、大企業の重役が持っていそうな戦国名将言行録に、多くの格言が載っている名将、そんな哲学者のような人物が、実はヒャッハーだったなんて信じられない…
そう思いたい気持ちは分かります。
しかし、事実は小説より何とやらで、隠そうとしても信玄ヒャッハーの証拠は甲陽軍鑑の至るところに存在するのです。例えば、武田信玄が、西上野にて小幡図書助を攻め落とした時の甲陽軍鑑には
小幡図書助は、驚き騒いで逃げ落ちた。その配下の者共が、ほうぼうに散ろうとするのを押しとどめ、武田家の加勢者、小者まで参加して、衣服や道具をガンガンにはぎとる。ばかりか、図書助の居城まで行って翌日まで乱取りヒャッハーだった。
と目を疑うような略奪の様子が自慢気に記述され、さらに上杉謙信との戦では
越後へ出陣、輝虎が居城、春日山城へ向かう、東道六十里近所まで村々焼き払い、女子供をさらってヒャッハー!
特に問題なく引き上げたが、輝虎の武勇など、とても我らと対等とは思われぬ。
このような有様で、むしろヒャッハーを自慢しているかのような記述です。部下に、こんなヒャッハーを許している武田信玄もやはり北斗の拳の悪党ばりのヒャッハーなんでしょうかYour Shock?
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ヒャッハーには理由があった
ここまで見てみると、信玄は弁解しようもないヒャッハーの親玉のようですが、そんなヒャッハーにも理由がありました。甲陽軍鑑には、以下のようにもあります。
戦利品で、分捕った刀、脇差、目貫、笄、鈨を外し装備は充実。馬や女なども乱取りで手に入れて売り払った。見てのとおり領民は、百姓まで悉く富み栄え、士気高く、文句を言う者は1人もいない。
この部分を見ると、略奪行為が領民にとって生活の一部であり、奪った武器で装備を充実し、馬や女を売り払って金銭を手に入れ、百姓にいたるまで富み栄え文句を言う者がいないと略奪を肯定しています。
つまり、略奪行為は足軽になる百姓にとって、給与の代わりでした。信玄は領民を合戦に引き出す代わりに略奪に目をつぶるしか方法が無かったのです。
略奪こそ領国を富ませ敵を弱らせる一石二鳥の行為
略奪は、ただ百姓の給与になるだけではありません。武田ヒャッハー軍団の親玉、信玄は、以下のように言います。
敵国を侵略して土地を得る事のみを武略と思うは大名の大きな間違いである。
第一には、まず敵を疲弊させ、あちらからこちらへ降伏するよう仕向けねばならない。
敵を疲れさせるポイントは、以下の3点である。
一、春は、飢えたばかりの苗を踏みつける
二、夏は、田圃を踏みつけ、或いは麦畑を踏みつぶす
三、敵地の民百姓の家を焼き、その後、厳重に警戒しつつ城を築く
次に交通の要衝に見張りを置いて、砦を築き、留守の兵を配置して帰還し、また出陣する。
なんとも残酷非道ですが、信玄は、略奪が自国の領民を富ませ、敵を弱らせる最上の方法であり、強い敵と正面から戦うというのは大間違いであると説いています。信玄がヒャッハーなのは、ヒャッハーが大好きだからではなく、それが戦国の戦い方としてベストだからだったのです。
全てを承知の上で畜生となる
信玄は、自身が他国においてやっている事が畜生の所業だと重々承知していました。しかし、乱世においては、それをやらなければ自国の領民を飢えさせ、ひいては領国を弱体化させ、他国の蹂躙を許し滅亡の淵まで追いやられてしまうのです。
やられるくらいならやれ、それが信玄の覚悟であり、以下の言葉からも分かります。
国持ち大名は、人の国を奪い取るのが仕事だ。国に罪はないが、それが武士の道である。
他国の将が無道を行っていれば、それを討ち、代わりに領民を正しく統治して民を労わるのが統治者の道なのだ。
また、信玄はこうも言っています。
人間はただ、自分がしたいことをせず、嫌だと思う事を優先して行うなら身分や立場に応じてその身を全うする事が出来よう。
たとえ、他国の領民から犬畜生と蔑まれ、憎まれようとも、私は皆が嫌がる事を全て引き受けて、大名をやっているのだ。信玄の内心が吐露された鬼気迫る言葉です。
誰だって他人に憎まれ、恨まれて平気な人はいないですが、それが出来ないと領国は守れません。だからこそ信玄は憎まれ役を買って出ました。武田信玄のヒャッハーは、言いたいことを全て飲み込み、沈黙して修羅の道を行く、そんな悲しくも凄まじい決意に満ちていたのです。
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