発石車といえば、曹操が官渡城の内部から袁紹の物見櫓を破壊した霹靂車が有名です。しかし、この霹靂車の動力は人力で連射出来ない欠点がありました。
連続発射を可能にした魏の発明家、馬鈞
魏の発明家、馬鈞は発石車を改良して連続発射が可能になるように工夫したそうです。それは、人力ではなく車輪の回転を使うものでした。馬鈞は巨大な木製の車輪を作成し、そこに重りを複数吊り下げました。重りは、同数の発石車の梃子に繋がっています。
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動力を活用した発明家・馬鈞
この状態で車輪を回転させると、重りの重さで車輪が回転し動力が生まれます。そして重りと繋いでいる縄が張りきった所で縄を切り離せば複数の発石車から連続で石が飛んでいくという仕掛けなのです。
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発石車を改良した時期
それは、曹爽が権力を握っている時期の事だったようですが、裴秀が発石車を批判し、これに馬鈞が回答できなかったのでアイデア倒れと考えられて実用化されなかったそうです。これを裴秀の難癖ととらえるか、まっとうな指摘かという事ですが裴秀は地理学者であり、実用的な地図である禹貢地域図を作成しているのでただの難癖ではなかったかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
しかし、欠陥があれど制作すれば、それは改良されたかも知れず、制作されなかったのは、魏の軍事技術の進展にとっては惜しい事でした。
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