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関羽の両脇を固める二大武将、関平と周倉はどのようにして誕生したのか?

2022年8月9日


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関平の兄・関寧

 

今回関羽(かんう)……の両脇を固める二大武将、関平(かんぺい)周倉(しゅうそう)についてです。

 

赤兎馬を乗り回す関羽

 

関羽と言えば、やはり三兄弟である劉備(りゅうび)張飛(ちょうひ)が出てくる、もしくは赤兎馬(せきとば)、いやいやそれとも……と、名だたる武将たちの名前が出てきますが、個人的に関羽の両壁、というと関平と周倉ですね。

 

三国志演義_書類

 

ですがこの二人、どちらかと言うと三国志演義(さんごくしえんぎ)で光が当てられたのはご存知でしょうか。今回はその辺りもちょっと考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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正史の関平について

正史三国志_書類

 

さて三国志演義ではなく、正史三国志(せいしさんごくし)の関平について。関平は独立した伝は立てられておらず、関羽伝にその記載があるのみです。とは言え、良く武将の子たちが伝が付随するのは……と思いきや、出てくるのはたった一文。

 

「関羽と一緒に子の関平も斬られました」という文章が関羽伝に記載されているのみなのです。これは一体どういうこと!

 

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関羽

 

 

かなり不明

蜀志(蜀書)_書類

 

さて、前述したように関平は独立した伝どころか、関羽伝に付随しているとかでもなく、短い文章があるのみです。更に言うと名前が関平であるということしか分かりません。一応、子、と書かれているので、実子である、ということが分かる程度でしょうか。

 

弟の関平と兄の兄・関寧の2ショット

 

このように、関平というのはかなり存在が良く分からない人物でもあるのです。では関羽の両脇を固めるほどの武将になったのは何故か、そこには三国志演義の働きがあるのですね。

 

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三国志演義の関平

西遊記巻物 書物_書類

 

では三国志演義の関平のお話を。関羽が曹操(そうそう)の元から離れ、何だかんだ色々あって張飛と再会、そして劉備(りゅうび)とやっと再会します。この時に関羽が途中の宿を求めたのが、関定(かんてい)という人物でした。この関定の息子こそが関平です。

 

関定は武勇に優れている息子の関平を関羽の部下にしてくれないか、と頼みます。そこで劉備が「関羽はまだ息子がいないから養子にしようぜ!」となって関平は関羽の養子となるのでした。

 

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関平の活躍と終焉

劉封

 

そこから関平は様々な場所で活躍することになります。特に劉備の養子である劉封(りゅうほう)とは良く一緒に登場し、夏候惇(かこうとん)周瑜(しゅうゆ)などを相手に働きます。

 

そして関羽が荊州(けいしゅう)の守護となってからは共に行動をしているためか出番がなくなり、次に出るのは襄陽(じょうよう)の戦い。ここが最大の活躍とも言え、ホウ(とく)と互角に戦ったり、関羽を宥めたりするなど次代の武将の才覚を見せつけてくれます。

 

しかし()の裏切りにより一気に佳境に立たされた関羽親子、決死の脱出は失敗し、義父関羽と共に関平は捕縛され、最期は共に斬られてしまうのでした。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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