神格化された関羽は、常にお供として周倉それに関平を連れています。これが関帝図の基本的な構図ですが、どうして養子の関平が関羽のお供なのか?
実子の関興が登場しないのは何故かと疑問に思った事はありませんか?
ところが関平、史実の三国志では関羽の実の子とされているのです。
関平は西暦178年から190年頃に誕生した関羽の実子です。三国志演義とは違い、史実にはほとんど登場せず、樊城攻めで関羽が敗れた後で臨沮において関羽と共に首を斬られています。
三国志演義での関興と張苞
一方で三国志演義では、正史ではほとんど活躍していない関興が同じく張飛の子の張苞と義兄弟となり活躍します。
ここで、関平を実子としてしまうと、張苞と本来義兄弟になるべきは関平になってしまい話の展開上都合が悪い、そこで関平は養子という事にしておいて、関羽の実子関興と張飛の実子張苞が二世代で義兄弟の契りを結ぶという筋立てにしたかったのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
これはあくまで説の1つなので、そんな説もあるんだと考えて頂けると幸いです。
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