関平の兄は関寧か関興か?複雑な関平の兄弟事情を調べてみた

2022年3月27日


 

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関平

 

関平(かんぺい)関羽(かんう)の息子というのが多くの人の認識ですが、正史においては関羽の実子。三国志演義では関定(かんてい)の実子で、そこから関羽の養子となっているなど色々と複雑な人物です。

関興と関平

 

また、関羽の実子として他にも関興(かんこう)がいますが、正史でもどちらが長男かは言及されていませんし、演義では関寧(かんねい)という兄がいる設定となっています。色々と複雑な関平の兄弟事情ですが、今回はそこを深く掘り下げていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義に登場する関寧

関興

 

冒頭でも触れたように演義における関平は、関羽ではなく関定という人物の息子です。そこから関羽の養子となったわけですが、関定にはもう1人関寧という息子がいました。関寧の方が兄で学問を学び、弟の関平は武芸を学んだとされています。

 

関寧に関しての記述はそれだけで、単純に関平との比較として登場しただけで、どちらかといえば文官系のキャラだったという以外の情報はわかりません。ただ、学問という部分に関して儒学を学んだとする解釈もあるようです。関平は親孝行な息子として描かれていますが、そうした兄の影響もあるということなのかもしれません。

 

関連記事:関平の実の親って誰!?関羽?関定?

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孔門十哲

 

 

 

関平と関興どちらが長男?

正史三国志_書類

 

正史にも演義にも登場する関興ですが、正史では関平とどちらが長男かは触れられていません。演義では関平の方が先に養子になっていますが、実子は関興が初となるので、関興を長男として扱うケースもあるようです。

 

関興と張苞

 

ただ、正史をベースにして考えると関興は夷陵(いりょう)の戦いのあと(223年頃に)に20歳ほどで侍中、中監軍という役職に抜擢されたという記述があり、「関侯祖墓碑記」によれば関平は178年5月13日に生まれたとされています。

 

そう考えると、関興は200年前後に生まれたと考えられるので、長男は関平です。とはいえ、「関侯祖墓碑記」は清代に発見された碑文の内容を記したもので信憑性が高いとは言えません。

 

樊城の戦い

 

もう一つ、関平は樊城(はんじょう)の戦いが初陣だったために正史に記載が少ないという説があります。それをもとに考えると、当時は10代後半には戦場に出ていたようなので、若くて15歳というところでしょうか。

 

それであれば204年頃の生まれとなるので、関興が長男という可能性も出てきます。ただ、それであればなぜ関興は戦場に行かなかったのかが疑問ですし、初陣で死んだことや関平がまだ幼かったなどの記載が正史にあってもよさそうなものです。なので、総合的に見て関平の方が年上だった可能性が高いです。

 

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樊城の戦い特集

 

 

架空の三男、関索

関索

 

正史における関平の兄弟は関興だけですが、他にも架空の登場人物として関索(かんさく)という人物がいます。関索は元代頃に編纂されたとされる「花関索伝(かかんさくでん)」と呼ばれる系統の読み物を中心に人気となった人物です。

 

同年小録(書物・書類)

 

花関索伝にはいくつかの種類があり、演義も同様に版本がいくつもあります。関索は版本によって扱われ方が大きく異なる人物です。例えば三国志平話では一度だけ名前が登場しますが、関羽とのつながりについては一切触れられていません。

 

三国志平話

 

また、平話は関平が援軍を連れてくるために荊州(けいしゅう)から離れているので、樊城の戦いでは死なずに南中征伐にも赴いているので、直接的な関わりはないものの関平と関索の幻の共演が果たされています。

 

南蛮異民族をボコボコにする潘濬(はんしゅん)

 

演義では荊州の戦いで負傷し、療養期間を経てから南中征伐で初登場するというパターンが比較的有名です。他にも花関索伝と同じように北伐で活躍するシーンが出てくるなど、関興と役割がかぶっているものもあります。

 

そして、極めつけは関索が次男(関平が養子という点を考えれば長男)という立ち位置になっているケースもあり、架空のキャラだけあってかなり自由な描き方がされています。

 

西遊記巻物 書物_書類

 

ちなみに花関索伝の1つである「新編全相説唱足本花関索貶雲南伝」という書物には関索が陸遜(りくそん)呂蒙(りょもう)糜芳(びほう)麋竺(びじく)を斬って関羽の敵討ちを果たすなど、完全に演義の関興と丸かぶりしているものもあります(この話では麋竺も糜芳とともに関羽を裏切っている)。

 

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三国志平話

 

 

三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

架空の人物である関索は除いても、関平や関興は正史以上に活躍の場が与えられていますし、関興は武官キャラになるなど改変もかなり大きく見られます。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

しかし、演義はある程度話の大筋が決まっているせいか、関羽の仇討ちや南中征伐に参戦するなど、人が違うだけで大まかな役割はほぼ同じです。結局のところ、物語上で必要だったのは「関羽の息子」という肩書だけで、関平が長男であれ次男であれ、あまり大差ないが無いような気もしてきます。

 

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関羽

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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