三国志の世界の影の主役とも言える兵士たち、兵士がいないと武将たちの活躍はもちろんありません。三国無双にモブの兵士がいなければ、なんとつまらないゲームになる事でしょうか?
それはそれとして三国志の世界で、兵士ではなく武将になるには、一体どうすればいいのでしょう。今回は三国志を読んだだけでは分からない武将になる方法を解説します。
最初から部下を率いて従軍すれば武将
三国志の時代は、群雄割拠で徴兵された正規軍というのがあまり整備されていません。つまり兵力は、それぞれの武将が自分で集めて来た私兵団なのです。
なので兵士ではなく、武将として戦闘に参加したいなら、手柄よりもなによりも、自前で部下を集めてボスに納まり、意気揚々と入りたい陣営に加わればいいのです。群雄は兵力をいくらでも欲しいので、あなたがまとまった兵士を引き連れてくれば、兵士数に応じて、それなりに優遇してくれるでしょう。
劉備は、西暦184年の黄巾賊討伐から従軍していますが、一兵卒で参加したわけではなく、その所属(関羽や張飛)を率いて校尉の鄒靖に従い、手柄を立てて安喜県尉のポストを得ます。
これにしても、劉備が兵卒で誰かの下で戦っていれば、手に入らないポストです。劉備は部下を率いる事で、然るべき部隊長として扱われ、弱冠23歳で田舎の警察署長位のポストに就けたのです。抜け目なく上手くやった言えるでしょう。
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簡単ではない募兵
ただ、兵力を集めると言っても簡単ではありません。無尽蔵にお金があれば、それなりに部下になる人はいるかもしれませんが、やはり統率力がないと侮られて、途中で裏切られて酷い目に遭うリスクもあります。
曹操は董卓軍の徐栄と戦い、派手に敗戦して兵力が減少したので、腹心の夏侯惇を伴い、揚州まで募兵の旅をして、4000人ばかりも兵士を集めましたが、途中で反乱が起きてテントを襲われ、自ら叛徒数十人を斬り捨てて、ようやく窮地を脱しました。
この騒動で、集めた兵力はほとんど逃げていき、500名しか残らなかったそうです。
いかに若いとはいえ、曹操ほどの男でも、募兵は困難でした。どうせ従軍するなら、誰だって兵卒よりは武将がいいですが、その地位はちゃんと部下を統率できる能力がないと就けない実力が試される地位なのです。
魏延は劉備に仕える前は、私兵団の傭兵隊長だったようで、その統率力の並々ならない事を見抜いた劉備が抜擢して牙門将軍としています。牙門は、総大将を守る副将の役割で劉備の魏延に対する厚い信頼が窺えますね。
一族の長や県令・太守の場合
見ず知らずのならず者を部下とする募兵はハードルが高いですが、元々、あなたが氏族を率いる長だったり、役人として県令や太守だった場合には、その元々からいる守備兵や、氏族の子弟を、私兵として編成し直す事で武将になれるかも知れません。
もし、率いている人数が、千や万単位なら、武将どころか武将を統率する将軍に昇格する事だって夢ではないかもしれません。
李典は従父の李乾や李整の死後に、その一族と部曲を引き継いだので、若くして潁川郡潁陰県令になり、さらに中郎将となっています。このような立場であれば、一から信頼を醸成する必要がないので、部下を率いる苦労も少なく、すんなりと武将として参加できるでしょう。
ただ、こればかりは、狙ってその立場に生まれられるものでもないので、誰でも応用できる方法ではありませんね。
並外れた怪力や一芸
兵卒として軍に参加した場合でも、桁外れの怪力をもっていれば、武将の目に留まり、昇進するチャンスを掴めるかも知れません。
典韋は兵卒として、張邈の軍勢に参加しますが、誰も持ち上げられない牙門旗(大将旗)を片手で持ち上げたので、趙寵という人物に注目され、その後、夏侯惇の軍に配属されてから幾度か手柄を立てて、司馬(別動隊の部隊長)に昇進しました。
また、楽進は小柄だったので、曹操に兵になるのは無理だと判断され記録係にされますが、その後、募兵の為に故郷に派遣されると、1000名もの兵士を連れ帰り、その統率力の高さを見込まれて、軍の仮司馬・陥陣都尉に昇進します。このような一芸があり、武将の目に留まると出世の糸口になりそうです。
三国志ライターkawausoの独り言
今も昔も人の信頼を得て、その上に立つというのは大変な事です。3人や5人のリーダーでさえ、それ相応の気苦労があるのに、生死を賭けた戦場で、千人や万人のトップになるとすれば、余程の人望がないと務まらないでしょう。
その他大勢の兵卒として、地獄の戦場を駆け回るのは、余り嬉しくありませんが、だからと言って武将となると、部下を統率しないといけないので大変です。カッコよく見える武将も、それ相応の苦労があると思うと「兵卒の方が気楽かな、使い捨てだけど」と思う元黄巾賊兵のkawwausoでした。
参考:正史三国志
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