伝説が歴史となる!近年の発掘調査で発見された曹操の陵墓

2014年11月23日


 

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水滸伝って何? 書類や本

 

中国の歴史において、現在もっとも古い実在した王朝は、殷王朝だとされています。

ですが、この殷王朝も、かつては伝説の国だと思われていたのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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伝説の王朝が正式な歴史になった理由

殷の大様002

 

1900年ごろ、研究者の王懿栄という人が、漢方薬店で薬として売られていた骨に文字が書かれているのを発見し、それがきっかけで、殷墟という殷の遺跡が見つかり、殷王朝は実在したのだとわかりました。

 

夏

 

中国国内には、まだ眠っている遺跡がたくさんあります。もしかすると、現在伝説とされている「夏王朝」も、近い未来に正式な歴史となるかもしれません。そこで、近年の発掘調査で興味深い遺跡を二つ、ご紹介したいと思います。

 

二里頭遺跡

 

河南省偃師市の二里頭村の宮殿遺跡です。1960年頃の大規模な発掘調査で、大宮殿跡が見つかりました。調査の結果、紀元前1800年から紀元前1500年頃のものと見られ、もしかすると、夏王朝の遺跡なのではないかと注目されています。

 

歴史書と適合するような文字資料が見つかっていないため、ここが夏王朝のものだと断定することはできません。しかし、今後の調査しだいで、中国最古の王朝遺跡として認められる日がくるかもしれません。

 

西高穴二号墓

曹操のお墓(曹操高陵)

 

 

河南省安陽市の西高穴村の墓遺跡です。2009年に調査により、三国志の英雄、曹操の墓であると発表されました。二号墓からは、3人分の遺骨が発見されました。1人は男性、2人は女性のものでした。男性の年齢は、鑑定の結果60代であり、曹操の死亡年齢66歳と適合しています。

 

曹操

 

また、「魏武」と書かれた石碑が8点出土したことも、墓の主人が曹操であることを裏付けているといいます。しかし、上海復旦大学の研究所が、DNA鑑定をしたいと申し出たところ、遺体の引き渡しは断られたそうです。というのは、この研究所では、現在残っている曹操の子孫の人たちや、曹操の大叔父の歯を調査した結果、曹家特有の染色体を見つけていたのです。

 

このことから、西高穴二号墓が曹操の墓であるという発表には、いまだ疑問が残る状態となっています。

 

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