中国の歴史において、現在もっとも古い実在した王朝は、殷王朝だとされています。
ですが、この殷王朝も、かつては伝説の国だと思われていたのです。
伝説の王朝が正式な歴史になった理由
1900年ごろ、研究者の王懿栄という人が、漢方薬店で薬として売られていた骨に
文字が書かれているのを発見し、それがきっかけで、殷墟という殷の遺跡が見つかり、
殷王朝は実在したのだとわかりました。
中国国内には、まだ眠っている遺跡がたくさんあります。
もしかすると、現在伝説とされている「夏王朝」も、
近い未来に正式な歴史となるかもしれません。
そこで、近年の発掘調査で興味深い遺跡を二つ、ご紹介したいと思います。
二里頭遺跡
(写真引用元:CRJ ONLINE)
河南省偃師市の二里頭村の宮殿遺跡です。
1960年頃の大規模な発掘調査で、大宮殿跡が見つかりました。
調査の結果、紀元前1800年から紀元前1500年頃のものと見られ、
もしかすると、夏王朝の遺跡なのではないかと注目されています。
歴史書と適合するような文字資料が見つかっていないため、
ここが夏王朝のものだと断定することはできません。しかし、今後の調査しだいで、
中国最古の王朝遺跡として認められる日がくるかもしれません。
西高穴二号墓
(写真引用元:曹魏武王曹操墓発見 [魏晋南北朝考古])
河南省安陽市の西高穴村の墓遺跡です。
2009年に調査により、三国志の英雄、曹操の墓であると発表されました。
二号墓からは、3人分の遺骨が発見されました。
1人は男性、2人は女性のものでした。
男性の年齢は、鑑定の結果60代であり、曹操の死亡年齢66歳と適合しています。
また、「魏武王」と書かれた石碑が8点出土したことも、墓の主人が
曹操であることを裏付けているといいます。
しかし、上海復旦大学の研究所が、DNA鑑定をしたいと申し出たところ、
遺体の引き渡しは断られたそうです。
というのは、この研究所では、現在残っている曹操の子孫の人たちや、
曹操の大叔父の歯を調査した結果、曹家特有の染色体を見つけていたのです。
このことから、西高穴二号墓が曹操の墓であるという発表には、いまだ
疑問が残る状態となっています。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。