「危うく抹殺されそうになりました、陳寿さんのおかげです」卑弥呼より

2014年11月27日


 

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陳寿029

正史三国志を書いた歴史家の陳寿は、日本の歴史にとっても、たいへん重要な役割を果たした人です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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中国の書物の魏志倭人伝とは

みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

『魏志倭人伝』という名前を、日本人なら必ず聞いたことがあると思います。そうです、日本史のあけぼの、邪馬台国の卑弥呼について書かれている中国の書物の名前です。もうお気づきの方もいらっしゃるでしょう。

 

曹爽と卑弥呼

 

『魏志倭人伝』は、歴史書『三国志』の中の『魏書』に書かれた『倭人伝』なのです!

 

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卑弥呼の使者が訪れた魏

魏王

 

ここで、卑弥呼と曹操が文をかわした!などという劇的なロマンスがあったらよかったのですが、残念ながらそういった事実はありません。最初の卑弥呼の使者が魏に訪れたのは、238年のことでした。

 

卑弥呼

 

魏は曹叡の代です。この時、卑弥呼は金印紫綬を授かり、さらに「親魏倭」の名をもらいました。

 

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抹消された卑弥呼の存在

卑弥呼 HMK48

 

奈良時代に成立した日本の歴史書である『日本書紀』には、正式な歴史書であるのに、実は邪馬台国の名も、卑弥呼の名もありません。これは、うっかり忘れてしまったわけではなく、故意に抹消されたと考えられます。

 

邪馬台国と卑弥呼軍

 

『日本書記』の成立の背景には、白村江の戦いという、対外戦争の敗北があります。日本はこのとき、唐・新羅の連合軍に惨敗し、大陸の圧倒的な国力を目の当たりにしました。このままでは日本もいつか大陸に支配されるようになるという危機感を持ったのです。

 

大和朝廷 古代宮殿と邪馬台国

 

国力の充実と、早急な文化水準の引き上げが必要でした。そして、現在の大和政権が、古代から続く日本で唯一の正統な王朝であることを証明しなければならなかったのです。すると邪馬台国の卑弥呼という存在は、大和政権にとって目の上のたんこぶです。大和政権以外にも女王がいて、しかも大国中国に認められているのですから。

 

そんなわけで、『日本書記』は、卑弥呼の存在を完全に無視して書かれています。もしも陳寿が『魏志倭人伝』を書いていなかったら。もしも散逸していたら……。邪馬台国はどこだという論争ですら、起こりえない状態だったわけです。

 

 

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