軍師陳宮(ちんきゅう)の助言に耳を貸さず、折角奪った兗州を曹操(そうそう)に奪還された呂布(りょふ)は、今度は、徐州を陶謙(とうけん)から譲られた劉備(りゅうび)を頼り落ちのびます。
この記事の目次
劉備は何故、呂布を受け入れたの?
流石に世慣れた劉備(りゅうび)は、呂布(りょふ)の上辺だけの言葉を見抜き、これを警戒しますが呂布(りょふ)の並みはずれた武力は、今後、曹操(そうそう)、袁術(えんじゅつ)を相手にする上で必要と考えこれを客将として迎えました。
最初はおとなしくしていた呂布(りょふ)ですが、裏切りの人生の癖が、再びうずき始めます。
呂布、遂に劉備を裏切る
劉備(りゅうび)が袁術(えんじゅつ)を討伐する為に本拠地である下邳を出発すると、留守を預かる曹豹(そうひょう)と謀り、下邳を乗っ取ってしまうのです。
それを知った劉備(りゅうび)は、迂闊にも呂布(りょふ)を信じた自分を悔みますが、このままでは、袁術(えんじゅつ)と呂布(りょふ)に挟まれて全滅してしまいます。
困った劉備は呂布に和睦を提案する
劉備(りゅうび)は煮えくりかえる腹わたを抑え、呂布(りょふ)に和睦を提案、呂布(りょふ)は何を考えたのか、これを受け入れて劉備(りゅうび)を許し今度は劉備(りゅうび)を自分の客将にしてしまいます。
劉備(りゅうび)は徐州の小沛という都市に駐屯していましたが、ここに袁術(えんじゅつ)が攻撃を仕掛けます。劉備(りゅうび)は呂布(りょふ)に援軍を要請し、呂布(りょふ)はこれに応じて出陣し、袁術(えんじゅつ)を追い散らしてしまうのです。
ん?何で呂布は袁術を追い返したの?
なんだかトンチンカンな呂布(りょふ)の対応ですが、これが呂布(りょふ)の限界であり、目先の損得しか考えられず、どんどん敵を多くしていっているのです。
こうして折角保護した劉備(りゅうび)ですが、劉備(りゅうび)が下邳を奪い返す為に兵力を増強していると知ると、呂布(りょふ)は怖くなり軍を派遣して劉備(りゅうび)軍を蹴散らしてしまうのです。
敗れた劉備(りゅうび)は曹操を(そうそう)頼り逃げてしまいます。蹴散らす位なら、最初から見殺しにしていればいいものを、呂布(りょふ)の行動には一切、一貫性がありません。
劉備は曹操軍として呂布に挑むよー
劉備(りゅうび)は、今度は曹操(そうそう)軍の武将として、呂布(りょふ)に戦いを挑んでいきます。
呂布(りょふ)はこれに対して、袁術(えんじゅつ)と同盟を組み、高順(こうじゅん)を先頭に劉備(りゅうび)の拠点沛城に攻撃を仕掛けて、劉備(りゅうび)そして曹操(そうそう)軍の猛将、夏候惇(かこうとん)を撃破します。
曹操が直々に呂布討伐を開始
劉備(りゅうび)は敗走し、代わって曹操(そうそう)が直接に軍を指揮してきました。相手は最強と謳われる黄巾賊の精鋭、青州兵です。
呂布(りょふ)と高順(こうじゅん)は奮戦しますが、勝てずに敗走し、袁術(えんじゅつ)に再度援軍を要請しますが、すでに弱体化していた袁術(えんじゅつ)は、援軍を出す力もありませんでした。
呂布は遂に捕らわれる
呂布(りょふ)は曹操(そうそう)軍に捕えられて、縄を打たれて曹操(そうそう)の元に引き出されます。曹操(そうそう)も兗州の戦いで煮え湯を飲まされた相手ですが、呂布(りょふ)は、少しも臆せず悪びれる様子もなく言い放ちました。
「曹丞相と俺が手を組めば、天下は手に入ったも同然、どうだ、俺を大将軍として使ってみる気はないか?」
このあまりにも無邪気なPRに、曹操(そうそう)は人材コレクターの血がうずきます。しかし、曹操(そうそう)が躊躇した瞬間に劉備(りゅうび)の一喝が飛びました。
「曹操殿、呂布に騙されてはいけません!!こやつがかつて養父丁原を斬り、父と仰いだ菫卓を斬った事をお忘れか?」
呂布(りょふ)は、劉備(りゅうび)を睨んで言いかえします。
「黙れ大耳野郎、袁術から攻められた時に救ってやった恩を忘れおって!曹丞相、一番信用できないのは、こいつですぞ!」
この醜い罵り合いで曹操(そうそう)は目が覚め、呂布(りょふ)を処刑する事を決意したのです。
三国志の歴史、呂布はここで脱落
ここに呂布(りょふ)は、40年に渡る裏切りの人生に終止符を打ちます。呂布(りょふ)は古今無双の武力を持ち、自分を信じる気持ちに厚く、誰であっても俺の武力を欲しがる筈だと自惚れていました。
一方で、人を信じるという気持ちがなく、少しでも良い条件を提示されると、元の主君を裏切っています。
この呂布(りょふ)の態度は、明らかに味方を失わせ、一方で敵を増やしていきました。もし、曹操(そうそう)に討たれなくても、遠からず同じ運命を辿ったでしょう。個人としては弱い者を助ける男気を見せた呂布(りょふ)ですが、最後には人を信じられぬ故に誰にも味方されず寂しい最後を迎えたのでした。